すっきりした味わいながら、口のなかに豊かな香りが膨らんでいきます。高知県仁淀川(によどがわ)町の「沢渡茶」は、渓谷の険しい斜面に広がる沢渡地区の茶畑で、寒暖差の大きい環境で育った力強さが特長です。山間地で茶農家が減るなか、何百年も続く茶産地の歴史を若い世代が守り、新しいスイーツを誕生させるなどブランドづくりに取り組んでいます。
高知市から車で100分。「仁淀ブルー」として清流の美しさが知られる仁淀川に沿って国道33号をのぼり、大渡ダムを過ぎてトンネルを出ると、道路の左側に緑鮮やかな茶畑が目に入ってきます。まもなく、大きな窓が目立つ木造のカフェ「茶農家の店あすなろ」が見えてきました。
仁淀川を見下ろすオープンテラスは見晴らしがよく、周囲の深い山々が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。カフェのメニューには、うすく透き通った黄金色の煎茶やほうじ茶が並びます。茶を練り込んだうどんやホットサンド、沢渡茶のソフトクリーム、クリームラテ、スムージーもそろっています。
「沢渡茶を感じてもらう拠点です」。夫婦でカフェを営む岸本憲明さん(41)は、茶の栽培から販売、商品開発までこなす茶農家です。「沢渡茶は煎が効くと評価されています。3煎、4煎と3、4回お湯を注いでも味が続くストロングなお茶と言われています」。いまは土佐茶の一つのブランドとなりましたが、ここに至るまでは苦労も少なくありませんでした。
◆大工からの転身
岸本さんの出身は、仁淀川町ではなく、高知市です。左官職人だった父と一緒に家をつくることが小さいときからの夢で、高校卒業後、大工になりました。22歳で結婚し、子どもが産まれると、25歳のとき、沢渡への移住を決意します。きっかけは、茶畑でした。
祖父の宝栄さんが茶農家で、小学生のころから大型連休などに茶摘みを手伝いに行っていた沢渡地区。仁淀川に向かって茶畑が広がる景色が大好きでした。ところが、過疎と高齢化で茶農家が減り、目にとまるのは荒れ果てた耕作放棄地。「このままでは沢渡の風景が消えてしまう」。祖父から「大変だぞ」と再考をうながされましたが、仁淀川町の石灰石鉱山で働く仕事を見つけ、兼業農家として茶の栽培を始めます。
1年かけて育てても茶摘みのタイミングを間違えると品質に影響が出てしまう繊細な茶栽培。茶作りを教わっていた宝栄さんが4年後、病気を患ってしまいます。土佐茶の値段が下がり、採算も厳しくなる一方です。でも、沢渡の風景を守るため、本格的に茶栽培に乗り出したいという思いが募ります。「茶のブランド化で付加価値をつけて収入を得られるようにするから、俺に時間をほしい」。将来に不安を抱く家族を説得して2011年、専業農家に転じました。
◆ブランド化で賛否
地区で収穫された茶は静岡に出荷し、静岡茶と混ぜ合わせて販売されることが多かったのですが、「沢渡茶」というオリジナルブランドを立ち上げ、ネットショップで直売を始めます。ただ、販路は簡単には広がりません。資金繰りに困り、生命保険を担保に銀行からお金を借りることもありました。週末に県内各地で開かれるイベントで販売し、土産店においてもらうよう頼んで回りました。
新商品の開発にも知恵を絞ります。イベントで茶の販売だけではあまり売れないなか、菓子と合わせて販売する店に客が集まる様子を見て、「沢渡の茶大福」を商品開発しました。茶のパウダーや粉茶をまぶす一般的な商品ではなく、煎茶に加工した茶葉をそのまま白あんに練り込みました。茶葉自体の栄養価の高さもいかした斬新な商品でした。
ただ、こうした姿勢に祖父の宝栄さんは否定的でした。「こだわって作っていたら良い時期がくる。お茶作りに専念せい」。しかし、岸本さんは、茶離れや耕作放棄地が広がるなかで、「付加価値をつけないと生き残れない」という考えを貫きます。「言葉で説明するよりも結果を見せないと」。高知県が主催するビジネスセミナーに通って経営を学ぶ半面、手売り販売に走り回るなど小さな企画を地道に積み重ねました。
そんな姿を見つめていた宝栄さんは、亡くなる直前、岸本さんの手を握ってこう話したそうです。「好きなようにせえ」。祖父から茶栽培を教わってきた岸本さんは、その言葉をいまでも「僕の根幹でもある」と話します。
◆体験で付加価値を
沢渡茶の茶大福はその後、日本航空(JAL)ファーストクラスの機内食デザートに採用されました。高知市の老舗旅館「城西館」で宿泊客向けに出してもらうようになり、城西館と高知商の高校生が共同開発したバウムクーヘンにも沢渡茶味が誕生しました。2016年にオープンしたカフェ「あすなろ」には、町の人口の3倍ほどになる1万5千人が1年に訪れています。
「おじいちゃんに怒られそうだけど……」という岸本さんが新たに取り組んでいるのは、仁淀川の渓谷をいかしたアクティビティーです。高さ30メートルの吊り橋を100メートルほど渡り、ジップラインで戻ってきた後に沢渡茶を楽しむという「NIYOFRY」(ニヨフラ)を始めました。渓谷を歩いて沢渡茶を味わうツアーも企画しています。
小さな気づきがありました。「いままで飲んでいたお茶と全然違う」。仁淀ブルーを体験した観光客の多くは、岸本さんが入れたお茶を飲むと、こんな感想を漏らしていました。茶農家が栽培した茶を、最もおいしい飲み方で味わってもらうことも、地域の価値の一つと考えるようになりました。
沢渡地区は、戦国時代から茶の木が自生し、昭和30年ごろに新しい品種を取り込んで本格的な栽培が始まったと伝えられています。岸本さんが祖父から引き継いだ茶畑は1ヘクタール弱でしたが、耕作放棄地を買い取り、いまは2.5ヘクタールで栽培をしています。「沢渡茶の付加価値を高め、ファンを増やしていければうれしいです」。標高300メートルから500メートルにかけて幾重にも重なる茶畑は、太陽の光と、ときおり霧に包まれる沢渡の美しい風景を守り続けています。(野村雅俊、写真は岸本さん提供)
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▼とろける沢渡茶ようかん
▼沢渡茶 煎茶
プレゼント応募締切:2024年1月16日16時 ※ご応募ありがとうございました。