福岡空港から車で約10分。高台のグラウンドにそびえ立つ頭でっかちの建物は何?
福岡市のベッドタウン、福岡県志免町はかつて、福岡市の東に広がっていた糟屋炭田のほぼ中央に位置する。1906年、旧海軍直営の採炭所が開坑。艦船で使う良質の無煙炭などを産出した。
高さ47・6メートル、鉄筋コンクリート製の竪坑櫓は太平洋戦争中の1943年完成。地下のより深い層の石炭を採取するため、立て坑を通じて作業員や石炭を昇降させる「エレベーター」として造られた。5階までは柱とはりだけ、最上階の8階に設置された巻き上げ機が、地下430メートルからエレベーターの「かご」を巻き上げた。
戦後は旧国鉄志免鉱業所として操業を続けたが1964年に閉山。九つの坑口は閉じられ、やぐらも放置された。廃虚のままいずれ取り壊されると思われたが2000年、近くで炭鉱関連の遺構が発掘され、調査が始まった。
調査に関わった町社会教育課の徳永博文さん(56)は、産業考古学の研究者から「このやぐらは重要」と聞いたが、「なぜ重要なのかわからなかった」。その理由を探るため、自費で北海道から沖縄まで国内の石炭産業関連遺構を訪ね歩いた。
国内には類例がないやぐらだが、中国とベルギーの炭鉱に同型のものが現存することもわかった。中国東北部の撫順を実際に訪れ、れんが壁のやぐらで、戦前日本が運営した南満州鉄道製であることを確認した。
約10年かけて調査報告書をまとめた徳永さんは「これは残さなければいけない」と確信したという。炭鉱事故や労働争議の記憶などから保存に消極的な声もあったが、近代化遺産ブームもあって2006年に町が譲渡を受け、2009年には国の重要文化財に指定された。
建物上部が大きく突き出した「ハンマーコプフ(金づち)」型は、周囲に関連施設が立ち並ぶ中で、スペースを効率良く使うため建設したと思われる。「よくバランスを保っていて、建築技術の高さを感じます」と徳永さん。「(鉱業所の中で)これだけでも残ってよかった」
(田中沙織、写真も)
DATA 設計:猪俣昇 《最寄り》:博多駅からバス |
徒歩9分の志免鉄道記念公園は1985年に廃線となった旧国鉄勝田線・志免駅の跡地。1919年に民営で開業した同線は、沿線の炭田から福岡市へ最盛期には1日約750トンの石炭を輸送したという。ホームや線路の一部が残され、旧志免鉱業所が稼働していた1955年ごろの町の様子を写した写真が展示されている。志免町社会教育課(電話092・935・7100)。