白虎隊士の墓所がある飯盛山。江戸時代から会津の地を見守り続けるお堂がある。ただこのお堂、普通じゃない!
お堂の内部を時計回りに進むスロープは急傾斜で、軽い登山をしているような気分だ。木の床はミシミシと響き、滑り止めの桟(横木)が十数センチ刻みで打たれている。
頂上の太鼓橋を渡ると、今度は反時計回りにスロープを下る。上りのときの床板が下りでは天井板になり、足音が上から降ってくる。誰にもすれ違うことなく、入り口と反対の出口にたどりついた。
戊辰戦争の舞台となった会津若松。白虎隊の悲劇で知られる飯盛山の中腹に「会津さざえ堂」は立っている。「世界でも珍しい二重らせん構造のお堂」。所有管理する飯盛家の飯盛正徳さん(64)は言う。
江戸時代に創建された仏堂は、木造六角形の塔状で高さ約16.5メートル。一方通行のらせんスロープは外観にも傾斜した壁として現れ、窓が傾いてみえるのも特徴的だ。
設計したのは、近くの寺院から飯盛山正宗寺に派遣された郁堂和尚。「1720年の洋書解禁でダビンチの考案した二重らせん階段が伝承されたのでは」「夢に出てきた二重こよりから着想を得たのでは」――研究者の推論や飯盛家の言い伝えが示されてきたが、斬新な木造建築という点では一致しているという。
不思議な構造だけでなく、お堂の使われ方も独特だった。飯盛さんは「西国三十三観音を拝礼できる仏堂だったと伝えられています」。
スロープに沿って中心に33の厨子が置かれ、かつてはそれぞれに観音像が納められていた。仏堂内を一周することで、三十三所巡礼と同じ功徳を得られると解釈されていたそうだ。
庶民から親しまれたさざえ堂にも厳しい時期があった。明治時代の神仏分離で寺は廃され、厳しい風雪にさらされ続けた。大改修や修理を重ね、1995年、ついに国の重要文化財に指定された。
代々、飯盛山を管理してきた飯盛家。飯盛さんは穏やかに語った。「郁堂の知恵や多彩な歴史が詰まったさざえ堂。後世に引き継いでいきたい」
(片野美羽、写真も)
DATA 設計:郁堂 《最寄り駅》:会津若松駅からバス |
▼▼会津さざえ堂内観360度カメラ▼▼