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私のイチオシコレクション

昭和のくらし博物館

庶民の姿 残して伝える意味は

「巴里1937年」 吉井忠 1990年 130.8センチ×162.3センチ

 今年は「昭和100年」ですが、昭和のくらし博物館は、1951(昭和26)年に建った住宅です。私たち小泉家の住まいで、往時の家財道具ごと保存しています。主に昭和30年代から40年代半ばのくらしを感じられるようにしています。この時代は、日本人が最も幸福だったと思います。日本が戦争をしない国になり、戦後の混乱期から何とか立ち直り、明るい未来が見えてきた時代でした。

 私は長年、生活史の研究に取り組んできました。いつの時代も最も残りにくくかつ軽んじられるのは一番身近なはずの庶民のくらしであると痛感しています。だからこそ「家をのこし くらしを伝え 思想をそだてる」というモットーを掲げ、運営しています。

 別館として「画家吉井忠の部屋」を開いています。吉井は1908年生まれ。ヒューマニズムが根底の骨太で知的な構成と清冽な色彩が特徴です。私は女子美術大学2年のとき出会い、師と仰ぎ、99年の彼の他界まで交流しました。

 「巴里1937年」はスペイン内戦当時、パリにいた吉井が描いたスケッチがもとになりました。改装中のモンパルナスの駅に架けられた橋の板壁の風景で、少女の顔のポスターが目を引きます。フランコを支援したナチスドイツの空爆で死んだ少女で、義勇兵募集の呼びかけとして貼られていたそうです。「ファシズムは暴力であり、廃墟であり、戦争である」という落書きも見えます。静かに反戦を訴えています。吉井は社会に向けて発言し、行動した画家でした。

 かく言う私は11歳のとき、横浜で大空襲に遭いました。焼夷弾が雨のように降るなか、幼い妹をおぶって、3歳下の妹の手を引いて逃げまどいました。吉井の絵のポスターの少女のように命を落としても何の不思議もありませんでした。

 ウクライナやガザなどで戦火がやみません。この絵を前にして、戦争と平和に思いをはせていただきたいです。

(聞き手・木元健二)


 《昭和のくらし博物館》 東京都大田区南久が原2の26の19(☎03・3750・1808)。金~、祝日開館。午前10時~午後5時。500円。「画家吉井忠の部屋」は、本館と2館で700円(入館は中学生以上)。

 

主任研究員 正路佐知子さん

小泉和子

 こいずみ・かずこ 1933年、東京生まれ。住宅、家具、道具の歴史と生活史の研究者。工学博士。「くらしの昭和史」(朝日選書)、「室内と家具の歴史」(中公文庫)など著書多数。

https://www.showanokurashi.com/

(2025年4月8日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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