江戸時代、経済の中心地として「天下の台所」と呼ばれた大坂。中でも中之島、堂島を中心に19世紀には120以上が立ち並んだ諸藩の蔵屋敷は商都を象徴する存在です。
蔵屋敷には各藩が租税として徴収した米や特産物が集められ、問屋や仲買を通して消費地へ流通していきました。また資金や物資を調達して国元へ送る役目もあり、西国の大名なら参勤交代の際の宿所に使ったりもしました。
中之島にあった広島藩の蔵屋敷を描いた絵図は当館の蔵屋敷図で最大のものです。上部の青い部分が堂島川、川につながる青い四角形は荷の上げ下ろしのため水路を引き込んだ「船入」です。船入と川の間には「安芸の宮島」を模した厳島社、船入には鳥居も描かれています。
中央やや下に公的な用途に使われる御殿があり、御殿や船入を取り巻くオレンジ色の長方形が米蔵です。約4千坪(1万3200平方メートル)の敷地内には米などの入札を行う役所や藩士らの住まいもありました。
蔵屋敷は、米を落札し代金(当時は銀)を納めた商人に対して「米切手」を発行しました。現物の米との交換のほか、転売や質入れも可能で、現代の有価証券に似た機能を持っていたと考えられます。
肥前蔵(佐賀藩)が発行した米切手には「米6千俵のうち30俵を橘屋新六が買った」という内容が、落札期日や切手の番号などとともに藩独自の書体で書かれています。
光にかざすと上下に分けて「ヒセン」「クラ」と偽造防止のためと考えられる透かしが入っており、当館所蔵の米切手の中でも珍しいものです。
(聞き手・高田倫子)
《大阪商業大学商業史博物館》 大阪府東大阪市御厨栄町4の1の10(問い合わせ先06・6785・6139)。午前10時~午後4時半。蔵屋敷図はレプリカを展示。2点ともバーチャルミュージアムで閲覧できる。日曜 祝日、年末年始、大学の休暇中休み。当面の間、学外者は入館不可。
池田 治司 いけだ・はるじ 同志社大文学部卒業。1991年から商業史博物館が設置されている大阪商業大学谷岡記念館に勤務。専門は日本近世史。 |