北海道土産として知られる木彫り熊は函館の北約70キロに位置する八雲町で始まりました。尾張徳川家の旧藩士らが入植した徳川農場で、農閑期の副業と趣味として大正後期に作られたのが最初です。
きっかけは19代当主義親が旅行先のスイスでペザントアート(農民美術)に出会ったこと。農民らの物心両面の豊かさを目指して徳川農場で木彫り熊作りを奨励したのです。
最初は義親がスイスから持ち帰った熊を参考に見よう見まねで作りましたが、まもなく農民美術研究会が作られ、繊細な「毛彫り」や抽象化した「面彫り」など独自の表現がみられるようになりました。
研究会で指導にもあたった日本画家・十倉金之(1883~1943、号は兼行)の作品は、熊の背中の盛り上がりから放射状に毛並みがひろがる「菊型毛」が特徴です。実際の熊の毛はこのように生えていませんが、立体的に見せるという日本画の表現から来ていると考えています。
十倉は日本画家の川合玉堂に師事していましたが、体調を崩して親が農業をしていた八雲に戻り、美術の代替教員をしていたそうです。
柴崎重行(1905~91)と根本勲(1904~83)が合作した一見すると木の塊のような作品は、粗削りな面が印象的です。2人の出会いは、柴崎が東京の展覧会に出した作品に、福島県生まれで八雲育ちの彫刻家・根本が目を留めたことがきっかけ。親交を深め、一緒に道内各地を放浪しながら制作したそうです。左脚に「俺志化」と彫ってあるのは、根本(俺)と柴崎(志化)の号を合わせたものです。
(聞き手・三品智子)
《八雲町郷土資料館・木彫り熊資料館》 北海道八雲町末広町154(問い合わせは0137・63・3131)。午前9時~午後4時半。(月)(祝)休み。
学芸員 大谷茂之 おおや・しげゆき 愛知県出身、名古屋大学大学院で考古学を専攻。2012年から勤務。 |