画家・三岸好太郎(1903~34)は31歳で夭逝しましたが、素朴なアンリ・ルソー風に始まって岸田劉生に傾倒し、さらにフォービズム(野獣派)、抽象など様々な画風の絵を残しました。生まれ育った札幌にある当館は油彩、水彩、素描など257点を収蔵しています。
「赤い服の少女」は、三岸の画家仲間だった私の曽祖父の本間紹夫の次女・澄江(当時5)がモデルです。三岸の好きな黄色を背景に、赤色の洋服がよく映える作品です。
ちょうど歯が抜けていた三岸の顔が怖かったのか、澄江はモデルになるのを嫌がったそうです。治療してようやく描いたものの、大柄でこわもての三岸を前に眉は八の字、泣いたのか白目が赤くなっていますね。
画家を志して上京して以来、三岸は札幌を離れましたが、頻繁に帰省しました。中でもこの絵を描いた1932年は個展や講演など故郷での活躍が目立ちます。
同じ年の「水盤のある風景」は、その前年に中島公園で開催された国産振興北海道拓殖博覧会の際に設置された噴水塔が題材。水を飲むこともできて人気を博した施設でしたが、わずか1年後には荒廃し取り壊されそうになっているところを描き残しました。
地面にじかにキャンバスを置き、下書きもせずにものすごい速さで描く様子を後輩の画家らが目撃しています。自らを短い生涯と知っていたとは思いませんが、三岸は自分の興味関心が熱いうちに描くタイプだったようです。
画風に一貫性がないと批判を受けたときは、過去に執着せずつねに探求し続ける大切さを語っています。建築など多方面に関心を持っていた三岸は、長生きしていたらどんな活躍をしたでしょうか。
(聞き手 片山知愛)
《北海道立三岸好太郎美術館》 札幌市中央区北2西15(問い合わせは011・644・8901)。午前9時半~午後5時(入場は30分前まで)。2点は「三岸が愛した札幌」で展示中。510円。(月)((祝)の場合は翌平日)休み。
学芸員 津田しおり つだ・しおり 1992年生まれ。北海道教育大学大学院修了。2020年10月から現職。「三岸が愛した札幌」(4月10日まで)で上映する昭和初期の札幌の映像は曽祖父・本間紹夫が撮影。 |