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フラメンコダンサー・JURINAさん ロングインタビュー

 フラメンコの世界に、興味はありますか?

 美しい衣装を身にまとい、踊り手はギターやシンガーと共に、その瞬間しかない情熱的なステージを繰り広げます。実際はバラなんて持たないし、自由に踊っているように見えて、案外そうではない。奥が深いその世界を、ほんの少しだけ、のぞいてみませんか?

 今回お話を聞かせていただいたのは、フラメンコダンサーのJURINAさん。様々なダンス経験を経て、成人後にフラメンコを始めました。その半生にはダンスへの挫折と葛藤、そして再生の物語がありました。

 (聞き手・斉藤梨佳)

※JURINAさんは7月18日(木)朝日新聞夕刊「グッとグルメ」に登場。

 

Profile

JURINA(じゅりな)

フラメンコダンサー。1991年静岡県出身。

クラシックバレエなどのダンス経験を経て、2018年から本格的に活動を開始。

フラメンコユニット「Los Topos」リーダー。フラメンコの曲以外でよく聴く音楽はYUKIとCocco。

 

ダンサーとしての挫折と再生

 

――フラメンコの前も別のダンスをやられていたのですか?

 

 そうですね。クラシックバレエとコンテンポラリーダンスをやっていました。

 

――それぞれどのくらいの期間ですか?

 

 バレエは2歳半から。たぶん12~3年くらいは習っていたと思います。

 コンテンポラリーダンスは20歳くらいに始めて、そこから2年くらいでフラメンコを習うようになりました。バレエを辞めてからコンテンポラリーダンスを始めるまでの数年間、踊りを離れていたんです。

 

――なぜ踊りを離れたのですか?

 

 1回踊っている時に大けがをしてしまって、骨を折って半年くらい踊れなくなりました。私が通っていた教室は、今後踊りで頑張っていきたい、という熱心な人が集まる教室にいたので、半年後に復帰をしたら全然クラスについて行けなくなっていました。自分のレベルが落ちていたことに心が折れてしまって、もう踊れないやと思って辞めてしまいました。

 

――それから5年ほどが経過し、コンテンポラリーダンスという道で踊りの世界に戻ってきますね。きっかけは何だったのでしょう。

 

 踊りを離れてやりたいこともなく、人生がちょっと暗かったんですね。そんな私に気付いて、知り合いがとある映画を見せてくれたんです。それがピナ・バウシュという、コンテンポラリーダンスの権威ある方の映画(※)でした。踊ったことがないような人を集めて劇場公演を作るという内容だったんですね。それを見たときに、私は技術が落ちたから踊りを辞めてしまったけど、「踊る」って本来そうじゃないんだって。子どもの頃からやっていたけど、初めて踊りの本質に気づけたというか。やっぱりこれがやりたいな、と思って踊りの世界に戻りました。

※「ピナ・バウシュ 夢の教室」2010年/89分/ドイツ

 

――そこで気づいた踊りの本質というのは、踊る楽しさということだったんでしょうか。

 

 そうですね。今まではきれいに、上手に踊れないとダメだと思っていたんです。でもそのピナ・バウシュの映画は楽しいから踊るとか、人と人とのコミュニケーションツールとして踊るとか、そういったところをすごく大切にしていたんですね。それを見たときに、もう号泣して。私も今後はそういうところを大切にしていきたいなって思ったんです。

 

 (左)バレエをしていた幼少期 (右)コンテンポラリーダンスを踊るJURINAさん

 

「常にその人であれば、それが素晴らしい」留学中に感じたこと

 

 ――フラメンコに出会ったきっかけは何ですか?

 

 小学校2年生の時に舞台で「カルメン」という作品を見たんですね。それで初めてスペインの雰囲気やフラメンコを知って、作品に恋をしました。でも当時はまだ小学生ということもあり、フラメンコをどう始めたら良いかも分からず、そのままバレエを続けていたんです。でもコンテンポラリーダンスからまた踊りに戻ってきた時に、改めて自分の本質を掘っていったら「カルメン」に戻ったんですよね。それでフラメンコを始めました。

 

――フラメンコを始めてすぐにスペイン留学にも行かれたんですよね。

 

 2回行っていて、1回目はフラメンコを始めてまだ1年、23歳くらいの頃に3カ月間行っていました。その後日本に帰国してから飲食店などで働き、留学費用をためて、26歳から27歳にかけて1年間行っていましたね。

 

――留学をしようと思ったのはなぜですか?

 

 フラメンコを始めたのが22歳くらいの時で、もうこのタイミングで芸事を一から始めるならプロにならないとダメだろうと思いました。趣味だったら良いんですけど、自分がどういう風に生きていくか考えなくてはいけない年頃だったので。どこまで力を注ぐかというのも考えた時に、じゃあ最後に1回プロを目指してみようと思ってフラメンコを始めたので、やっぱり人よりも頑張らなくてはいけないんだなと思ったんですよね。それで留学を決意しました。

 

――実際に行ってみてどうでしたか?

 

 スペインだと、できようができまいが、すごい速さで振り付けが進みます。もちろん無視されるとかではないんですけど、フラメンコ歴が浅い状態で行ったので、なんとかついて行くのに必死という日々でしたね。

 フラメンコはどれだけ自分を出しているかということをすごく重要視しているジャンルなんですね。スペインの先生方は「こういう風に踊るとフラメンコだよ」という指示を一切しなくて、「とにかく自分を出しなさい」という指導をするんです。私もまだ試行錯誤の中ですが、やっぱり自分を出すということが1番大事だと常に思っています。

 体調が悪い時に踊るのもフラメンコだし、幸せな時に踊るのもフラメンコだし、いろんな表情があって良いし。それが常にその人であれば、それが素晴らしい。そういう考え方や文化なので、すごくリスペクトしています。

 

――それは日本の教室とは少し違う気がしますね。

 

 恐らく違うと思います。私も最近気がついたんです。そういえば向こうでは細かい技術のことはあまり言われなかったなって。

 

 留学中の様子

 

 

 

――留学して、どんなことを学べましたか?

 

 スペインで見聞きしたフラメンコや、同じクラスの子たちのレベルの高さを知って、激しい衝撃を受けて戻って来れたので、どこまでいっても自分はまだまだだな、と常に思うことができます。その時に感じた感動を自分が人に与えられているのか、ということを考えられるので、それはすごい収穫だったなと思いますね。

 

JURINAさんは帰国後、個人での活動だけでなく留学先で知り合った荒濱早絵さんらと共に、「Los Topos」というフラメンコユニットを結成します。

 

■Los Toposとしての活動

 

――JURINAさんはフラメンコユニット「Los Topos」のリーダーとしても活躍されていますね。なぜユニットを組もうと思ったのですか?

 

 フラメンコは一緒にステージに立つメンバーが毎回違うことも多いです。そこが面白いところではあるのですが、毎回何が見れるか分からないんですよね。ショービジネスとして捉えた時に、このユニットのライブを見に行ったらこの曲が聴けるとか、そういう方向もあるなと思ったんです。フラメンコは即興が基本なので、果たしてこれがフラメンコなのかどうかということを考えると答えは出ないのですが、「Los Topos」のライブのあの曲が好きだからライブに行くとか、そういうことを言ってもらえたら嬉しいなと思ってユニットを立ち上げました。

 

「Los Topos」の動画 

 

――踊っている時はどんなことを考えているのですか?  

 

 1番良いのは何も考えていない時です。気付いたら終わっている時がベストです。ダメな時は指先の角度を気にしています(笑)

 

――緊張は今でもしますか?  

 

 緊張します。でも昔私の師匠に「緊張している時は平常心だから大丈夫」という言葉をもらったんです。「一番ダメな時は、自分の緊張に気付けていない時。緊張しすぎている時だから」と。それを聞いてからは、もう緊張はするものなのだと思うようになりましたね。むしろ緊張するようにしています。  

 あとは全身にもうこれ以上無理、というくらい力を入れて、ぎゅーっと手を握って、息も止めて体を極限まで緊張状態に持って行くんです。そこから力を抜くと体がリラックスするから、舞台袖で真っ赤になりながらやっています(笑)

 

■美しきフラメンコ衣装

 

――フラメンコの衣装を一言で言うと?  

 

 大人が着れるフリフリです。 私は割とドレッシーな衣装が好きですね。色は赤を選ぶことが多いです。

 

――舞台映えする衣装はどういうものでしょうか。  

 

 淡い色よりはハッキリした色の方が舞台映えするな、と経験上思いますね。特にフラメンコは舞台美術や背景をあまりつけないので、黒い舞台の上で踊ることも多いです。だから衣装に色があった方が華やかになりますね。柄は水玉や花柄が多いです。

 その日に踊る曲に合わせて衣装を選んでいます。

 

 ©近藤佳奈 /©佐藤尚久

 

 ©佐藤尚久

 

 ©大森有起  

 

――髪形やメイクもフラメンコ特有のものがありますよね。

 

 基本的にはロングヘアでまとめて、後ろで三つ編みやお団子にすることが多いですね。メイクはハッキリ、目元もしっかり塗って、赤い口紅をひいて。普段は絶対にやらないようなメイクをすることが多いです。

 

フラメンコの髪形とメイク。つけまつげはフラメンコの必需品。

 

――フラメンコシューズは普通の靴とどう違いますか?  

 

 足のつま先とかかとの部分に大量に短い釘が打たれています。その釘を地面に打ち当てることで音を出すことができます。

 

フラメンコシューズ。靴の裏には短い釘が打たれている。

 

■正解がないから、永遠に悩める

 

――色々なダンスを経験されたJURINAさんが思う、フラメンコの1番の魅力は何でしょう。  

 

 コミュニケーションだと思っています。  

 生演奏で、かつ即興で舞台が作られることが多いので、舞台で踊るのは1人でも、絶対に1人ではできないのがフラメンコだなと思います。それはミュージシャンの人もそうですし、パルマという後ろで手拍子をたたく仲間もそうですし、そういった全ての人と、言葉でないものでコミュニケーションを取って、1つのものを作り上げているので、そこがお客様も見ていて楽しいところだと思います。やたら目配せしているなとか(笑)

 

――逆にフラメンコの難しいところは何でしょう。

 

 いっぱいありますね。

 自分の足を楽器にしてリズムを刻み、上半身は踊っている、という状態を作り出すので、未だに試行錯誤していますね。フラメンコはとても歴史があるものですし、これがフラメンコだ、というものがあるようでないというか。そこが先ほどお話した「自分らしさ」というところなんだと思います。

 正解がないので永遠に悩める。これが幸せでもあり、難しいところでもあると思っています。

 

――シンガーやギターの方との相性というのは大事でしょうか。

 

 相性は大事ですが、この人はどういう人かなと考えながら、自分も相手に合わせつつ、変わる自分を楽しんでいる部分もあります。一緒にワイワイできるとそういうフラメンコができますし、落ち着いてギターを弾いてくださる方だと私も落ち着いたパフォーマンスになるので、合う合わないよりも、その人と組むとどういう色が出るかな、というのを楽しみようにしています。

 

1カ月に1回は辞めたいと思っていた

 

――辞めたいなと思うことはなかったですか?

 

 実は去年までは1カ月に1回くらい辞めたいと思っていました。

 

――すごく意外ですね。なぜですか?

 

 一昨年「カルメン」をやるまでは、苦しいなと思うことの方が多かったです。自分の目指したい壁とか、どうやってもスペイン人にはなれないし、子どもの頃からやっているわけでもないし、という色々な壁が自分の中にあって、月に1回は辞めたいと思ってしまっていましたね。

 

――「カルメン」はJURINAさんがフラメンコを始めるきっかけでもあり、ご自身でも昨年舞台でやられていましたよね。

 

 そうですね。文化庁が芸術家に助成金を出して舞台制作の支援をしているという話を聞いて、なかなかないチャンスだなと思って。「カルメン」の舞台を作りたいというのが私の夢だったので、挑戦してみたんです。音楽などのベースはフラメンコで、セリフはないけどちゃんとストーリーがあるという作品を主催・主演という形で上演しました。

 

「カルメン」ダイジェスト映像 
 
 

――辞めたいという気持ちを乗り越えることができたのは「カルメン」の影響が大きいのですね。

 

 自分の大きな夢だった「カルメン」をやり終えて、自分のことを俯瞰して考える時間を取ったんです。そこでありきたりですけど、自分が今すごく恵まれていることに気付いたんですよ。好きなことがやれている、フラメンコで舞台に立つこともできる、仲間もいる。今までは理想と現実のギャップばかり見ていたところから、やっと今ある環境に目を向けられるようになりました。今の環境が欲しくてずっと頑張ってきたんだと気付いて、こんなに幸せな今を辞めたいなんて思ったら、フラメンコに失礼だなと思ったんです。今はもう死ぬ瞬間まで踊れるくらい頑張りたいなと思っています。

 

――何かで悩んでいる時、人に相談するタイプですか?

 

 私は終わってから話すタイプです。軽いことはその時話せるんですけど、1番重いところは自分の中で考えますね。

 そういう時は私は本屋さんに行くんです。仕事のことで悩んでいたら、最初は仕事の本を読みますよね。でも読んでいる途中で、違った、と思うんです。そこで例えば「今私、睡眠が取れてないんだ!」ということに気付いて、次は睡眠の本を読みます。こうやって紐解いていくと、悩みの本質が見えるんです。最後にもうこれ以上はないぞと思ったら、それが自分の悩みなのでその本を買って帰ります。

 

――ダンスという表現の世界に身を置いているJURINAさんにとって、表現することの楽しさはどのようなところでしょうか。

 

 つながっている感じですかね。人やその場の空気がつながって、すごく「生きてるな」と思える時間が生まれることが幸せですね。

 

――ダンサー、シンガー、ギター、そして見ている方が一体となって、1つのステージを作っている。その空間でみんなが一つになっていると感じるのですね。JURINAさんにとって、フラメンコとは何でしょう。

 

 人生そのものですね。

 生活の一部になっているので、フラメンコがない生活というのはもう考えられなくて。私がプロであるとかプロでないとか、そういうところを抜きにして好きなので、人生そのものです。

 

取材後記

 JURINAさんを知ったのは、昨年の11月、代々木公園で行われた「フィエスタ・デ・エスパーニャ」のステージがきっかけでした。趣味でフラメンコを習っていた時に知り合った友人と見に行ったのです。その友人は数年前に同じ場所で「Los Topos」の踊りを見て、その帰りの電車でフラメンコの体験レッスンを予約しました。その日のステージのことを「心から楽しんでいるのが伝わってきて、世の中にはこんなに美しい表現をする踊りがあるんだと衝撃を受けた」と言っていました。そして、こうも思ったそうです。「私もあっち側に行きたい」と。JURINAさんが踊りから離れて気付いた「楽しむ」という本質。その思いを体現した彼女のフラメンコが、本人も知らぬ間にステージを見ていた人の心を動かしていました。

 今回の取材で、JURINAさんはダンスへの挫折と、そこにどう向き合ってきたのかということをとても丁寧に語ってくださいました。その誠実な言葉選びを見ていて、自分の体験や思いを言葉にすることがとても上手な方なのだなと感じました。それと同時に、フラメンコダンサーは気が強くないと、という環境に疲れてしまった私には、JURINAさんの優しさにあふれた笑顔が、柔らかな光のように見えました。

(斉藤梨佳)

 

 

公式ホームページ

 https://jurinaflamenco.com/

 

公式インスタグラム

 https://www.instagram.com/jurinaflamenco

 

グッとグルメ(7/18午後4時から配信)

 https://www.asahi-mullion.com/column/article/ggourmet/6124

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