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建モノがたり

渋谷ライズ 「美しい出会い」が描く虚構 

建築家 北川原温さんインタビュー

 

 ミニシアターとして知られた東京・渋谷のライズ。いまはライブハウスになっていますが、大きく変容を続ける街のなかで、巨大な金属の衣をまとった個性の強い建築は40年近く鎮座しています。設計した建築家の北川原温さんにうかがうと、カルチャー最先端の地でも廃れることのない独創的なメッセージが込められていました。

(聞き手・深山亜耶)

 

ライズ外観

 

――スペイン坂で初めて出会った10年ほど前に衝撃を受け、ずっと気になっていました。完成は1986年ときいています

 東京って新宿、丸の内、銀座とそれぞれの地域に特徴があり、渋谷は非常にカオティックな街です。当時はすごいエネルギーが充満していました。初めは所有者の頼(らい)光裕さんから商業施設を依頼されたのですが、イメージがわかず、「敷地にステンレスを敷き詰めて1年続ければ発見できるかもしれない」と本気で相談したんです。ピカピカの敷地に空や建物が映り、雨が流れれば、と思っていたら、「君は何を言っているんだ」って驚かれて……。

 そのうち映画館をつくると頼さんから話があり、ひらめいたんです。東京という大都市が、僕には「虚構」に映りました。実体のない、空想の中のような。いろんな情報が飛び交い、何が本当で何が嘘か分からない時代が始まったんです。映画もある意味では虚構です。それがあの場所にできるのはぴったりだと思い、一生懸命デザインを始めました。

 

北川原温さん

 

――斬新なデザインにはどういきついたのですか

 ゴシック、ルネサンス、バロックの時代などの建物が目の前にあり、何百年も続く時間軸が見えるヨーロッパと違い、東京は70年代後半以降、全体像が見えない分裂的な都市になりました。特に80年代はバブルが始まり、お金のある人が目先で好きなものをどんどんつくったわけです。歴史がかすみ、いつの時代の建物か、誰がなぜつくったのか分からないっていう、本当にカオスですよね。

 でも僕は否定的に考えるのではなく、凄いなと思ったんです。そんな街は世界でも見あたらず、部分が暴走するというすさまじいカオスだと感じました。それを象徴化できないか。建築でいうと、基礎や柱があって屋根がかかるコンストラクティブではないもの、建築ではないものをつくりたかった。もっとカオティックになっていく東京を何とか表現できないかと考えました。

 ライズは建築じゃないと今でも思っています。「都市の断片」の寄せ集めだと。例えば屋根は雨を防ぐとか、ガラスは内外を遮断しながら向こうが見えるとか、建築って必ず機能があるのですが、そういった機能的な説明ができないもの、なぜここにこんなものがあるのか誰も分からないものにしよう、と。

 

――従来の建築的な考え方とは異なるアプローチです

 僕らはモダニズムの教育を受けてきたんですね。例えばフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエとか世界の巨匠が50年代くらいまでに機能論を完成させました。日本で言えば丹下健三など、機能的に美しい建築を学びました。ヨーロッパに行くと1千年以上遡った時代の建築が残り、「なぜこの建築がこういう形をして、この材料が使われているのか」、きちんと説明できるわけです。

 当時30歳くらいだった僕としては、そこを乗り越えたいという気持ちがありました。東京は歴史的な建築とは無関係にすごい速度で成長し始め、モダニズムの建築をつくったってしょうがないと思ったんです。東京のエネルギーはモダニズムをはるかに飛び越えていて、それに対する答えではないけれど、都市のイメージを再現してみようと思いました。

 

――具体的に、建物の形態にはどのような意図があったのでしょうか

 モダニズムの時代は、構造が目に見えることが正しく美しいと言われていたんです。だけど犬や猫、ライオンなど動物は骨格とそれを覆うものは違います。それで個性が生まれるとも考えられます。一方で、エビやカニなどの甲殻類は外側に構造があるものもあり、「モダニズムの人たちは甲殻類を見てたのか」とも思いました。ライズでは、コンクリートの構造体に衣を着せる発想はありましたね。

 その「衣」になる「屋根のドレープ」は、アルミのキャスティングです。発泡スチロールで全体をつくり、切断して製造可能な大きさにして、一つ一つ型を作ってアルミを流し込んでつくっています。ドレープにラインが現れているのは、鋳物で一つ一つ形が違うからです。あれだけの大きさのものをつくれる工場が当時日本に1社しかなく、新潟の巨大な体育館みたいな工場で作ってトラックで東京まで運んできました。現場ではクレーンで組み立てていったんです。

 

発泡スチロールでできた型

 

工場で組立てるようす

 

屋根上部 ©Shigeru Ohno

 

 

――ライズに入ると、2~4階の天井の曲面の美しさが印象に残ります

 都市には直線も曲線もある。都市の断片を集めるというコンセプトで入ってきた要素で、曲面の天井は軀体に漆喰を塗っています。職人さんはやりづらかったと思いますが滑らかになっています。「こんなのやったことない」「面白い」と試行錯誤し、「綺麗だろ、あそこは俺がやったところだ」って自慢する職人さんもいて、楽しかったですね。

 当時は階段の途中にクジャクの剝製が2羽いたんです。異質なもので、虚構なんです。なんの機能も持っていない。それは映画の虚構とも繋がっていく。面白い映画を見て出てきてクジャクがいても、別に変と思わないかもしれない。でも人間ってそんなありもしない風景を想像することがありますよね。その想像力があるからこそ面白いと思います。虚構が夢や元気を与えてくれることだってあります。元気が出る映画もあれば、悲しくなって家に帰りたくなくなるような映画もあるけど、それは人間の想像力がそういう感情を生み出すわけです。

 いまも階段に残る額縁は、なかに歪ませたステンレスの板を入れています。虚構の表現です。「古い絵のフレームがそこにはいるんです」と頼さんに訴えて実現しました。「また変なこと言ってるな」って思ったと思いますが反対せず、ヨーロッパから輸入してもらったんです。

 

階段上部 ©Nacasa & Partners

 

――「虚構」の理念、よく建築に実現できたと感慨を覚えます

 僕が言ったような議論は頼さんにも当時話していて、模型を見て「不思議な形ですね」とかニヤニヤしていましたが、「これじゃ駄目」とは言われなかったんです。きっと頼さんも、渋谷という都市が混沌として、すごいスピードで分からないところに行ってしまうと感じていたのではないかと思います。普通の建物をつくっても意味がないと考えていたのではないでしょうか。

 当時、僕は受け入れてもらえると思い込んでいたけど、後から考えてみると、頼さんは凄いなと。このライズを受け入れてくれたのは、やっぱり建築家よりもクライアントの方が上だなと思います。意識が高く、「これも一つのあり方だな」と捉えた、器の大きい経営者だと思うんです。

 

――先日頼さんにお会いした際、屋根に当時の価格で1億円以上の費用が必要となり決断を迫られた時、ホンダの副社長を務められた藤沢武夫さん(1910- 88年)に「同時代のアーティストは同時代の人が支えなくちゃいけない」と言われて決心がついたと話していました

 それは、初めて聞きました。僕はずっと感謝しています。頼さんからの要望は「映画館で2スクリーンつくれるように」ぐらいでした。画家や彫刻家と違って建築家はクライアントがいなければ建築をつくれず、クライアントの要求を具体化するのが基本スタンスなんですが、頼さんは「感動」というキーワードを示すぐらいで「こういう風にしたい」とは言わないんです。だからつまらないものをつくっちゃ駄目だっていうプレッシャーがありましたね。

 信頼して任せていただけたのは、幸運としか言いようがないですね。そういうクライアントって、特に日本では少ないんです。建築家は御用聞きで、言われた通りに設計することが多いわけです。頼さんは「具体的なことを言ってしまったらつまらなくなるかもしれない」と我慢していたのかもしれないですね。

 

――実際に映画館がオープンしてからは、どんな存在だと感じましたか

 僕がゼロから作り出したっていうよりは、東京という大都市とか映画という虚構の世界が、僕の手を通して生まれたという感じです。あの奇妙なものがなぜああなるのかは恐らく誰も答えは出せないし、賛否両論で議論をする材料になったのではないかと思っています。

 映画館の座席は、パリのオペラ座の座席と工場が一緒でした。パリ郊外に著名な映画館や劇場の椅子をつくる工場があり、当時、日本ではライズにふさわしいと思える椅子がなかったので、そのメーカーに頼んで、図面を渡してつくってもらったんです。全くのオリジナルです。

 今はもう無いのですが、当初作ったカフェは、ニューヨークの若いインテリアデザイナーが担当しました。彼の提案で、VOGUEで表紙を撮っていた写真家、ホルストの写真を店内の壁に飾っていました。地下のバーは舞台美術をされていた方が手がけ、古代の廃墟みたいだと人気が出て、たくさんのお客さんが訪れていました。

 

映画館(2階)ラウンジ入口となるアルミドレープ ©Nacasa & Partners

 

映画館(2階) ©Nacasa & Partners

 

映画館(地下) ©Nacasa & Partners

 

――都市の断片の寄せ集め、少しずつ見えてきたような気がします

 学生時代に古本屋でロートレアモンの「マルドロールの歌」という長編の詩を見つけたんです。その中に強烈な一節があるんです。手術台の上にミシン、コウモリ傘が置いてある。それが「美しい出会い」って書いてある。実はこれがライズの根源なんですよ。異質なもの、背景の違う歴史や文化を持ったものが共存すると、見る人は「何だこれは」と思いますよね。想像力を働かせて理解しようとするけど答えは出ず、いつまでも不可思議な状態が解決されない。まさに東京だと思ったんです。

 日本の建築の人ってまず理系で、ロジックや合理性を教え込まれるから論理を重視しがちです。ヨーロッパでは美術系の教育を受けた建築家が結構います。「美しさ」って言葉で説明できないことがありますよね。直感的で右脳で働きかけてくる。建築は、確かに技術を押さえる必要がありますが、それだけではできないんです。文化や歴史、哲学まで踏み込まないと面白い建築ができないと僕は思っています。

 イタリアを訪れると、とにかく散歩したくなります。建物も人々も、森や山、道路も風景として存在しています。歩いていると「日本人か」と声をかけられ、「この通りは綺麗だろ」って自慢されるんです。そう自慢することが日本ではまず、ないんですよ。自分の街を好きになれないことが間接的に日本人のモチベーションを下げ、国力低下に繋がっている気がします。自分の街を誇りに思って生活できたら、違ってくると思いますね。

 日本は今、経済がなければ文化をつくれないという発想です。文化は経済の余力でつくると。でも、文化が生まれ、それが経済を生むという方向に行かないと、美しい街もつくれないし、自慢できる国や街になっていかないですよね。

 

シネマライズ時代の映画関係者のサインは今も残る

 

コルテン鋼パネルと銅板平葺きの北側壁面 ©Shigeru Ohno

 

――竣工して40年近くたったライズのいまをどうみていますか

 際立っているというか、不思議な感じがします。当時は話題になって人がいっぱい来ましたが、街のなかではそんなに違和感はありませんでした。周りの建物が新しく変わって街が均質化していけばいくほど、ライズが目立つわけです。

 40年の変遷でいろんな意味が生まれ、あの建物は全部背負っている気がしますね。思い込みかもしれませんが、普通の建物は段々と消えていくと思う。だけどライズは違和感があって、そういうイメージを多くの人々に持ってもらっているんだとしたら良かったなと思います。

 

プロフィール 北川原温(きたがわら・あつし) 1951年、長野県生まれ。東京芸術大学名誉教授。東京芸術大学美術学部建築科在学中に国際設計コンペで優勝、大学院修了後は国内外で設計修業し30歳で設計事務所を設立。ビッグパレットふくしま、中村キース・ヘリング美術館、岐阜県立森林文化アカデミー、アリア、宇城市不知火図書館・美術館、ONE OF A KIND (舞台美術)など。建築設計や都市計画、舞台美術やインテリアデザインまで幅広く手がける。

 

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