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建モノがたり

佐喜眞美術館(沖縄県宜野湾市)

基地の隣から届ける反戦の心

沖縄戦犠牲者への思いが込められた佐喜眞美術館の屋上  美術館入り口。看板の文字は丸木位里のもの 館と地続きの佐喜眞家の亀甲墓

 那覇市中心部からバスで約1時間。こぢんまりした美術館が米軍基地の隣にあるのはなぜ?

 

 国道の角を曲がり、住宅などが立ち並ぶ一角。佐喜眞美術館は、その日の大雨でできた水たまりに特徴ある列柱を映し出していた。
 すぐ後ろには有刺鉄線つきのフェンスがあり、「米国海兵隊施設」の看板が示すように向こう側は普天間基地だ。上空を頻繁にヘリが飛ぶ。
 館の展示の中心は丸木位里・俊の「沖縄戦の図」。館長の佐喜眞道夫さん(78)は関東で鍼灸院を営んでいた時、体験者の証言を元にこの連作に取り組む丸木夫妻と知り合った。
 佐喜眞さんの父母は沖縄出身。往診してはり治療を施しながら、沖縄についての「質問攻め」に応えるうち懇意になり、夫妻から「沖縄戦の図」を沖縄に展示してほしいと託された。
 自ら展示の場を造ると決め、知人から紹介された那覇市の建築家・真喜志好一さん(80)に設計を依頼した。
 当時、埼玉県の「原爆の図丸木美術館」にあった「沖縄戦の図」を見た真喜志さんは、「建てる場所が大事」と直感した。「例えば(那覇市中心部の)国際通りの雑踏の中では、絵に込められた反戦の心を消化できない」
 緑があり、海が見え、沖縄の心や歴史が感じられる場所。2年ほども探し続けた末、意外な「適地」を見つけた。佐喜眞さんが相続し、普天間基地の一部となっていた先祖伝来の土地だ。
 土地の返還交渉は当初難航したが、地元宜野湾市の協力も得て米軍側のOKを取り付けた。取り戻した約1800平方メートルの土地に館が完成したのは、建設を決めてから10年近く後だった。
 「建物はあくまで絵の背景。自己主張をさせなかった」と真喜志さんは話す。赤瓦や石垣といった沖縄的な要素さえ採り入れるのを避けたが、屋上のデザインには強い思いが見てとれる。
 何の飾り気もなく、あるのは階段だけ。踊り場をはさんで6段と23段。上った先の四角い穴は6月23日、沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」の落日の方向を示している。

(大庭牧子、写真も)

 DATA

  設計:真喜志好一
  階数:地上1階
  用途:美術館
  完成:1994年

 《最寄り》:那覇空港・那覇市内からバス


建モノがたり

 那覇市の沖縄県立博物館・美術館(☎098・941・8200)は沖縄の「グスク(城)」をイメージした、要塞(ようさい)のような外観。博物館の常設展(530円)では沖縄の自然や歴史、文化などを常時3千点を超す資料で知ることができる。午前9時~午後6時(金土曜は午後8時まで)。原則月曜、7月2~10日休み。

2024年6月11日、朝日新聞夕刊掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください

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