僧侶が学ぶ学寮を起源とする龍谷大学。京都駅に近い大宮キャンパスの建物が洋風に見えるのはなぜ?
浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺に隣接する大宮キャンパスには白壁、アーチ形の窓、正面のバルコニーが印象的な本館を中心に校舎や旧守衛所など明治初期の建築が残る。いずれも国の重要文化財だ。
完成は1879(明治12)年。「鹿鳴館が建てられる4年も前と考えると、非常に興味深いです」と、龍谷大教授で文化遺産学が専門の北野信彦さん(64)は話す。
石造りのように見えるが、実は木に石を貼り付けた「木造石貼り」、屋根は瓦でふいている。浄土真宗の寺の造りに合わせ、西側に窓がない。
内部の壁は柱をしっくいで塗り込めた西洋式。柱頭に西洋建築に特徴的なアカンサスのデザインをまねたような彫刻がある一方、菊や雲など日本的なモチーフも室内装飾に多用されている。100畳の2階講堂の窓がやや低いのは、正座で学ぶ場だったため。
あちこちに「日本」が顔をのぞかせる「擬洋風建築」だが、「設計や施工に西洋人がかかわった記録がない割に、西洋の技術がかなり入っているのが不思議」と北野さん。当時建設にかかわった京都の宮大工らが「神戸居留地に西洋建築を見学に行き、学んだのではと言われています」。中にはその後、迎賓館赤坂離宮などを手がけた建築家・片山東熊に評価され、建築史に名を残した者もいた。
明治の初め、天皇が東京へ移り喪失感を味わった京都。加えて寺院は廃仏毀釈(き・しゃく)の流れにさらされた。この時代、20歳代で西本願寺法主を継いだ大谷光尊は若手僧侶をヨーロッパに派遣して宗教文化や教育制度を学ばせ、宗門の近代化に努めた。
「“攻め”の意識で西洋文化を採り入れた点で価値がある」と北野さん。実は本館は明治天皇行幸の休憩所とするため、建築途中で大幅な設計変更を行ったことがわかっている。新しい時代への意気込みは天皇にも伝わっただろうか。
(田中沙織、写真も)
DATA 設計:不明 《最寄り駅》:京都 |
徒歩約5分の龍谷ミュージアム(問い合わせは075・351・2500)は、龍谷大学が運営する仏教総合博物館。6月24日(土)~8月13日(日)はシリーズ展「仏教の思想と文化」を開催。「お釈迦(しゃ・か)さんのむかしばなし」がテーマの特集展示では、釈尊の前世の物語を中心に初公開の作品をまじえて紹介する。午前10時~午後5時(入館は30分前まで)。550円。原則(月)休み。