というわけで。9月の15日から再度の訪中です。
詳細は、前回の旅日記を見てください。
かいつまんで申しますと、日本の狂言、浪曲と、中国の語り芸、江蘇省の蘇州に伝わる「蘇州評弾」とのコラボレーションで鑑真和上の物語を描く「東渡」プロジェクトに、狂言の奥津健太郎さん、健一郎さん親子と共に、浪曲の奈々福と広沢美舟は参加しており、そのリハーサルのために8月下旬に訪中し、そして9月、いよいよ本公演のためにふたたび中国に渡ったのです。
中国で公演するのは、4回目です。
最初は2016年。中国の河南省宝豊県の馬街という村で開かれる「馬街書会」を見に行ったときでした。毎年旧暦の正月13日あたりに、中国全土から民間の語り芸の芸人たちが数百、いや千人以上集まり、青空の下、芸を披露する、700年も続いているという中国文化の一大奇跡といわれる語り芸大会です。
いわば芸人の大見本市。終わったあと観客は演者に「うちでやって」と出演と価格の交渉をする。新居、結婚式、子どもの誕生、老人の長寿の祝いなどに呼ばれるわけです。
ご一緒したのは、能楽師の安田登先生、作家のいとうせいこうさん、言語学者の金田一秀穂さんとそのご子息で演出家の金田一央紀さん、そのほかの方々。中原の、真冬の、黄砂寒風吹きすさぶ麦畑で展開される、とんでもない規模の語り芸大会のカオスっぷりは、ご一緒にしたいとうせいこうさんのInstagramの動画を見ていただこう。
https://www.instagram.com/p/BCAKFzNEYqs/
私の写真も見てください。
この帰りに江蘇省蘇州の「蘇州評弾」の寄席に寄り、一行で突撃ライブをしてしまったのが最初。お能の「海士(あま)」をアレンジしたものをいきなり演じ、評弾を聴きに来ていたおじいちゃん、おばあちゃんを仰天させたのでした。
その次は2018年の春、中国曲芸家協会(曲芸とは中国語で「語り芸」のこと)の招聘により、お能の安田登先生、狂言の奥津健太郎さん、浪曲の奈々福+美舟で、北京、蘇州、上海とまわり、中国の曲芸家の方々と交流公演をさせてもらいました。
このとき上海評弾団で中国の芸人さんと話をしたのですが、「君たちの国は間違っている!」と言われ、参ったなあ。曲芸の専門学校で訓練を受け、伝統芸能継承者の資格をもらっている彼らは国家公務員のようなもので、国からお給料をもらっているそうです。寄席のアガリを芸人に払う必要がないから蘇州の寄席なんて入場料60円くらい。かたやこちらは補助のないフリーランス芸人で、木馬亭の木戸銭はいま2400円。
「どうやって暮らしてるんだ」「国が君たちを保護しないのは間違っている!」。いろいろ言われましたけれど、修業や生活のことまで話せたのはとっても面白かった。
同じ年の秋には、今回も訪れた張家港で開かれた「世界幽黙(ユーモア)芸術週間」に奈々福+美舟は招聘を受け、すんごい大きなホールで浪曲を披露いたしました。つまり春の公演で、奈々福の浪曲は「ユーモア芸能」認定されたわけです。わはははは。ちゃんと古典演目やったんだけどなあ……なぜ?
2020年も行くはずだったのですがコロナで延期となり、そして今回、鑑真和上入寂1260年を期して「東渡」プロジェクトとなったのでした。
2024年9月15日に上海浦東空港に降り立ち、車で張家港へ。台風で一日ホテルに閉じ込められたけれど、17日は劇場でリハーサル。中国には数百の語り芸があると前回の旅日記にも書きました。過去の共演で私もいくつか拝見しましたが、すべて、男性も女性も声が高い。ハイトーンです。
「中国にはドス声の語り芸、ないんですか」と、中国の方に聞いたら、う~~~ん、と腕組んで考えて、「ないかも」と言われました。
なので、浪曲、狂言の声があまりに違うのに驚かれたのでしょうか、リハーサルを終えたら、偉い方々からうわ~っと拍手をいただいてびっくり仰天。
「え? え? 私?」
特別にうまくできたわけでもないのに、褒めていただいて面喰らいました。
その日は中秋の名月。張家港の夜の街を歩きながら見た月は美しかった。
18日、芸人一行は張家港からバスで長江を渡り、南通空港から北京に飛びました。北京の中国文学芸術界連合(略称・文連)に行って、偉い方々にダイジェストで公演をお見せするというミッション。
私はのんきでおりましたけれど、中国曲芸家協会の方々にとっては大事な行事だったらしい。そこでもどうやら好評をいただいたそうで、ほっ……。
北京の街を歩きました。
いま中国へ行くにはビザが必要です。そのせいか、二週間旅をして日本人観光客のツアーとまったく出会わなかった。だから現在の中国の様子があまり日本に伝わっていないと思うのですが、私が見た範囲でしかありませんが、6年前に旅した国とはかなり変わっていました。間にオリンピックがあったことが大きいのかもしれません。
一番変わったこと。空気がきれい。
車からバイクに至るまでほとんどEVで排ガスの臭いがしません。6年前は冬だったこともあり、新幹線の窓も、外が白く濁って景色が見えないほどだったけれど、今はとにかく空気がきれい。それと、特に北京、緑が豊かです。緑化率75%って言われましたけれど……どういうこと?
そして北京には様々な博物館がある。故宮博物院だけちょこっと行くことができたけれど(壮大すぎて仰天した)、もっとゆっくりまわりたかったな。
あと、浅草のレンタル着物のお店は中国資本だって聞いたことがありますが、故宮博物院の周りはレンタル中国衣装屋さんだらけ、そして仮装している人だらけで、なるほど発祥の地はここか、と。漢民族系、清朝系、さまざまなコスプレーヤーさんたちが観光してました。
張家港へ戻る。町を挙げての「長江文化祭」が21日に開幕しました。
保利大劇場の周りには夜店がたくさん出て、野外イベントもあり、お祭り状態です。
開会式にお招きいただき、さまざまな芸能を観ました。
中国の漫才である「相声」。日本からも吉本の芸人さんが来ていました。中国の語り芸、さまざまな地方の芸能。中国の語り芸、やはりみんな声が高い。とくに女性は超高音で語り、唄う。
最初の公演は22日、張家港公演。
中国の劇場はどこもLEDの大きなスクリーンがあり、背景にさまざまな景色や色がうつされ、舞台が派手です。
序章があり、出発前の鑑真和上が生まれ在所の方々と語らう場面。張家港の民謡である「河陽民謡」が歌われ、鑑真の思いは「蘇州評弾」で語られます。
第一章は蘇州評弾で、出航前の鑑真の前に亡き母の面影が現れ、鑑真に語り掛けます。
第二章は鑑真の渡航の場面。日本の狂言と中国の蘇州評弾で、荒海を渡る鑑真を竜神の使いが助ける場面が描かれます。奥津さん親子は荒海に揉まれる鑑真大師と出会う海亀と小魚の役。
第三章は日本に着いてからの鑑真和上の事績を浪曲で。奈々福、台本製作と口演を担当します。すべて事前に台本を送って訳してもらってあり、中国語の字幕が出るようになっていますので、意味はお客さまにはわかっていただけます。
幕が開く。わあ、お客さまいっぱい!
いろいろ勝手が違って緊張しましたが、張家港公演、大盛況、大成功で終わりました。
ああ~良かった!!!
23日、鑑真和上の生まれ故郷、揚州にバスで移動。
24日、鑑真和上所縁の大明寺参拝したあと、夕方から公演。大盛況、大成功。
25日、バスで上海へ。中国の芸人さん、スタッフのみんなで一緒のバス乗ってわいわい移動するのも面白い。途中の休憩所で買うおやつも、中国のお菓子ってなんでこんなにハイカロリーなものいっぱいなの~? おいしいから食べちゃうけど、油いっぱい使ってる。
26日、上海にてツアー最終公演。一番の盛況、大成功。
……というか。
コラボレーションの面白さ。お互いがお互いの芸を意識し、公演を重ねるごとに、ぐわんぐわんと、なんだか全体的に素敵になっていくのです。カーテンコールであんなに客席がどよめいて、あんなに拍手もらったこと、忘れ得ぬ思い出になりました。
このすごいプロジェクトの総監督は、ご自身も芸人でいらっしゃり、上海曲芸家協会理事である曹雄先生。
演出と中国側台本は、中国曲芸家協会副主席の呉新伯先生。
そして、奈々福を顔付けてくれたのは中国曲芸家協会事務局の管寧さん。
各地の公演の評判が大変良かったとのことで、打ち上げでちょっとお酒が入った管寧さんから「奈々福さんは私の女神です」なんて言われちゃった。
わはははは。
その日本公演が間もなくあります。
26日、東京・銀座の観世能楽堂にて午後6時から。
29日、大阪市港区の天保山テンポーハーバーシアターにて午後6時から。
このたび中国から来られる評弾の方々は、高博文先生をはじめとして、世界的にも活躍しておられる第一人者のすばらしい方々。しかもコラボ公演。貴重な機会ですので、ご都合が合いましたら、ぜひいらしてくださいませ。
◆たまがわ・ななふく 横浜市出身。筑摩書房の編集者だった1995年、曲師(三味線弾き)として二代目玉川福太郎に入門。師の勧めで浪曲も始め、2001年に浪曲師として初舞台。古典から自作の新作まで幅広く公演するほか、さまざまな浪曲イベントをプロデュースし、他ジャンルの芸能・音楽との交流も積極的に取り組む。2018年度文化庁文化交流使としてイタリアやオーストリア、ポーランド、キルギスなど7カ国を巡ったほか、中国、韓国、アメリカでも浪曲を披露している。第11回伊丹十三賞を受賞。
◆「ななふく浪曲旅日記」は毎月第三土曜に配信します。