最近、東京駅の八重洲口に新しいバスターミナルができました。八重洲地下街から直結しており、外に出ることなく高速バスに乗れるようになりました。
2月23日朝、わたくしはバスターミナル東京八重洲の14番のりばにおりました。千葉県東庄町(とうのしょうまち)へ向かいます。わたくしはこの町の観光大使を務めております。
奈々福は玉川一門の浪曲師で、玉川の家の芸とされている演目に「天保水滸伝(てんぽうすいこでん)」があります。江戸後期、下総(いまの千葉県)の笹川(いまの東庄町)を縄張りとしていた笹川繁蔵と、飯岡(いまの旭市)を縄張りとしていた飯岡助五郎という、実在した二人の博打(ばくち)うち、彼らを親分と仰ぐ両一家の抗争に材をとって作られた物語です。
舞台となっている東庄町には「天保水滸伝」にまつわる数多くの史跡があるのですが、町をあげてそれら守り、「天保水滸伝遺品館」までつくり、ボランティアスタッフが運営し、町の物語を大事にされています。町長の岩田利雄さんのブログは、サブタイトルに「浪曲はこころのふるさと」とまでうたってくださっています。
ありがたい。
そういうわけで「天保水滸伝」を語り継いでいる玉川一門のわたくしが、生まれ故郷でも出身地でもないのに観光大使になっているわけです。
その東庄町の公民館まつりに招かれ、浪曲を披露するために高速バスで向かったわけです。
八重洲口から1時間50分、バス亭「東庄」に到着。
バスは「天保水滸伝」の登場人物、剣豪、平手造酒(ひらて・みき)が死んだ諏訪明神の脇に着きます。
物語の舞台となった場所に行くのはいつでもときめきますが、家の芸である「天保水滸伝」のふるさと、もう20回以上来ている東庄に到着するわくわくはひとしお大きいのです。
境内には、笹川繁蔵が建立した相撲の元祖、野見宿祢(のみのすくね)の碑が残っている。
「天保水滸伝百三十周年記念碑」。三波春夫先生の直筆の碑文。浪曲師時代にもこの地をおとずれ、歌手になられてから平手造酒を主人公とした「大利根無情」を歌われた三波先生は、何度も何度も東庄町に来られたそうです。
おなじく境内にある「天保水滸伝遺品館」。
隣接する延命寺には笹川繁蔵の碑、平手造酒の墓、勢力(せいりき)富五郎の碑などが立てられています。繁蔵の碑の前に仁王立ちするわたくしだ。
おりしも梅の花盛り。
ところがこの日、公民館まつりで町民の皆さまの前でご披露するのは「天保水滸伝」ではないのです。
「東氏(とうし)物語」。
「天保水滸伝」は江戸時代の物語ですが、時代はもっとさかのぼって鎌倉時代。この地域を治めていたのは、東国武士の東氏でした。
流人であった源頼朝が、伊豆の韮山で挙兵したのは、治承四年、1180年のことです。ところが石橋山の合戦で平家に敗れ、海路安房へと逃れた。その頼朝にまっさきに味方したのが、下総の有力武将、千葉常胤(つねたね)と、息子の胤頼(たねより)。下総の国府で兵を率いて頼朝を出迎え、感激した頼朝は常胤を「そなたは我が父じゃ」と言ったという。
千葉常胤は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にもちょこっと出てきました。
この千葉常胤と胤頼が、頼朝を頭領と立て、源氏の氏神、鶴岡八幡宮がある鎌倉へ源氏の旗をかかげて入った。つまりは、千葉常胤と胤頼は、鎌倉幕府樹立の大功労者だったのです。大河ドラマではそれは描かれなかったけど!
この胤頼が、父の常胤から東庄町を中心とする広大な荘園を譲り受け、「東」を名乗ったのが東氏の始まり。三代将軍実朝に至るまで、鎌倉殿の絶大な信頼を得て仕えた。
鎌倉三代将軍の実朝は、歌人としても有名でしたが、この東胤頼も、若きころ、都に上り朝廷に仕えて和歌を学び、勅撰集(ちょくせんしゅう)に歌が採られるような歌人となった。
そして実朝亡きあと勃発した承久の乱で大きな功績をあげ、恩賞として美濃山田庄(いまの岐阜県郡上市)を賜って子孫は郡上へ移住した。
その郡上東氏は、胤頼以来の伝統として脈々と和歌の道を受け継ぎ、郡上東氏九代東常縁(つねより)に至り、当代一の歌人と称され、連歌師の飯尾宗祇に「古今伝授」を行ったという。
「東氏」400年にわたる歴史。
これについての講義を、千葉市立郷土博物館の研究員でいらっしゃる外山信司先生と、東庄町の教育長の石橋宏克さんから、みっちり3時間受けたのは2023年の秋のことでした。東庄町から「奈々福さん、『天保水滸伝』じゃなくて、今度は「東氏」の新作浪曲を作ってくれないか」とご依頼があったからでした。
……えええええ。
おらが町の歴史を浪曲にしてくれ、400年くらいあるけどよ、って……えええええ。
しかし、この講義は大変面白かったのです。東国武士というと荒くれ者のイメージがあったのですが、有力武士の子弟は若きころから朝廷に仕えて和歌を学び、東氏の末裔(まつえい)に至っては歌の権威にまでなり、飯尾宗祇に「古今伝授」までした、というのには驚かされました。
ご依頼いただいたおかげで、スペシャリストからみっちり講義していただく機会を得て、さらに、東庄と郡上に取材の旅にも行きました。
そのうえで、つくった。
400年の歴史を、ぎゅっと30分にまとめた。
無謀。
そうして昨年2月に東庄町で「東氏物語」初披露。それを再度、公民館まつりで演じてほしいというのが、このたびのご依頼です。
コロナ禍の2022年。私は、文化庁のAFF2(コロナ禍からの文化芸術活動の再興支援事業)の助成を受けて「浪曲でつづるあなたの町の物語」という企画を、全国10カ所で開催しました。
自分の持っているネタを聞いてもらうのではなく、ご当地に赴き、ご当地の歴史を掘り起こして作った浪曲を聞いてもらう。おらが町の浪花節。
その土地の物語を演じるときは、やはりいつもとは違う地元ならではの反応があり、つながれるような感覚を得たものでした。
東庄町にはいまも東氏の末裔の方々がおられます。その町で演じる東氏の物語。
公民館の大ホール、いっっっぱいのお客様でした。人名や地名、年号や、和歌が出てくるので、背後にスクリーンを下ろしてもらい、適宜、字幕表示しながら聞いていただきました。
昨年のネタおろしのときには、覚えたてを一席演じるので精いっぱいだったけれど、二度目の今回は、お客さんとコミュニケーションをとり、ちょびっとお客さんと遊びながら、演じることができた気がする。
楽しかった。
岩田町長さん(中央)、向後喜一朗・副町長さん(左端)、東氏の歴史を詳しく教えてくださった石橋教育長さん(右端)と記念撮影。黒紋付は曲師の広沢美舟。
東庄町は私にとっては故郷に近い感覚です。親しい方、応援してくれる方、待っていてくださる方々がいて、浪曲会が終われば親睦会。近くのお寿司屋さんで奈々福東庄後援会のみなさんと、一献。一献どころじゃない、まあ、みなさん飲む飲む飲む……。
泊まりたかったけれど翌日が仕事。
高速バスのバス停まで送ってもらって。
見上げた夜空に、冬の星が煌(きら)めいていました。
ちなみに東庄町はいちごで有名です。すごいいちごを作ってます。
左から、林いちご園のアイベリー、高橋農園のやよいひめ、右は奈々福が生協で購入したとちおとめ。
ぜんぶ味が違う、ぜんぶおいしい。
◆たまがわ・ななふく 横浜市出身。筑摩書房の編集者だった1995年、曲師(三味線弾き)として二代目玉川福太郎に入門。師の勧めで浪曲も始め、2001年に浪曲師として初舞台。古典から自作の新作まで幅広く公演するほか、さまざまな浪曲イベントをプロデュースし、他ジャンルの芸能・音楽との交流も積極的に取り組む。2018年度文化庁文化交流使としてイタリアやオーストリア、ポーランド、キルギスなど7カ国を巡ったほか、中国、韓国、アメリカでも浪曲を披露している。第11回伊丹十三賞を受賞。
◆「ななふく浪曲旅日記」は毎月第三土曜に配信します。