「中華そば紅蘭(こう・らん)」の中華そば 「ふるさとの思い出の味を食べたい。一緒に行く?」。5年ほど前にコンサートで山口県を訪れたとき、山口出身のマネジャー・山本さんがそう言って、連れて行ってくれました。
不安な時、優しく包まれるような言葉に触れたくなる。そういうことは誰にでもあると思う。私にとって、そんな時に手を伸ばしたくなるのがエッセイスト・松浦弥太郎さんの本だ。
今回松浦さんに取材をして、10代で単身渡米した時のお話や、文章を書く上での姿勢、コンプレックスへの向き合い方などについても聞くことができた。そして話は記者の悩み相談にまで……。
(聞き手・斉藤梨佳)
※松浦弥太郎さんは10月17日(木)朝日新聞夕刊「グッとグルメ」に登場。
Profile 松浦弥太郎(まつうら・やたろう) エッセイスト。1965年東京都生まれ。 「暮しの手帖」元編集長。「おいしい健康」取締役、東京子ども図書館役員などを務める。 近著「大切に抱きしめたいお守りのことば」(リベラル文庫)が発売中。 |
---|
■エッセイストとして
――松浦さんの本はかねてより拝読しています。
「松浦弥太郎の『いつも』」(2023年、CCCメディアハウス)は松浦さんがいつも大切にしていることを書き留めた本ですね。冒頭から引き込まれます。「気が楽になるというのはちょっといいなあということです」「僕らに必要なのはしあわせではなくて安心なんです」という文章は、日常に疲れていた時でも、無理せずに読めるものでした。
「エッセイストのように生きる」(2023年、光文社)では、自分の視点を持ち、気になったものをとことん見つめ、その先にある発見を大切にする。まさにエッセイストのように生きる方法を示してくれています。職業がエッセイストではなくても、日常をじっくりと見つめるきっかけになるものでした。
松浦さんがエッセイストになったきっかけは何だったのでしょうか。
(左)「松浦弥太郎の『いつも』」 (右)「エッセイストのように生きる」 共に記者私物
僕はアメリカで過ごしていた時期があって、その時に色々な体験をして感じた素敵なことや、忘れたくないことがあるんです。そういうことを日記のようにコツコツと書き残していたんですね。書くから自分の記憶にも残っているわけで、こんなことがあった、それによってどう自分が変わったのかという心象風景っていうのかな。そういうことをおしゃべりしていたら「すごく面白いからもっと聞かせて」と言ってもらったのがきっかけですね。そこから本を書かせていただいたり、色々な媒体でお願いされるようになったりして、それがいつしか職業になっていったという感じですかね。
――アメリカでの体験というお話が出ましたが、10代で単身渡米されたそうですね。だいぶ勇気がいることのような気がしますが、学びも多かったのではないですか?
僕が小学生から中学生くらいの頃は、音楽、ファッション、映画など色々な外国文化に触れる機会があって、早く外国に行きたいなという憧れがありました。それに加えて僕は学校があまり好きではなくて、逃避するために行った側面もありました。
10代の終わりごろから渡米し、アメリカのサンフランシスコで過ごしていましたが、学校に行っているわけでもビザを持っているわけでもなかったので、3カ月に1回は日本に帰ってきていました。帰国したらアルバイトをしてお金をためて、またアメリカに行くというのを20代はずっと繰り返していましたね。
ただ、勇気はそんなに必要なかったです。なぜかというと、何も分からず、何も知らないからです。今みたいにどの国に行くにはどうしたら良いかとか簡単には調べられない時代だったので。でも逆に、知らないから知りたかった。わからないからわかりたかった。
日本にいる時は、孤独を感じたことがありませんでしたが、1人でアメリカに行ったら話す人もいないし、自分を守ってくれる人もいない。その時に孤独ってこういうことだったんだなと知りました。そして孤独をどうやって受け入れるのかということも。すごくシンプルなことで、人間というのは孤独であることが条件だと気付いたんです。孤独であるからこそ、人とどう関係性を作るかということを学べますし、相手も孤独であると気付く。それによって、人との話し方や付き合い方も変わってきますよね。だから孤独を体験できたことは、僕にとってすごく大きな学びでした。
――孤独を知ったことで、相手の孤独も思いやることができるようになったのですね。松浦さんがエッセーを書かれる上で最も大切にしていることは何ですか?
素直な気持ちは大事だと思っています。色々なことに気付く能力っていうのかな。何かが起きていても気付かない人は気付かないわけだけど、やっぱり気付く自分でいるべきだと思う。そのためにはどんなことでも肯定的に受け止める素直さが必要だし、いつも好奇心を失わないことがすごく大事だと思います。
――松浦さんの文章は「優しい」「人に寄り添う」などと言われることが多いと思いますが、読者に穏やかな文章を届けたいと意識されているのでしょうか。それとも、人柄が無意識ににじみ出ているものなのでしょうか。
人柄は自然と出るように思います。ただやっぱり、横に座って誰かに話しかけるように文章を書いていくというのが、僕自身の心持ちなんじゃないかなと思います。高いところから何かを書くというよりは、皆さんより下のところから言葉をかけていくというか。自分自身の姿勢はそんな感じがします。
――謙虚でい続けるのは難しくないですか?
そうでもないですよ。というのも、僕は自分自身がどういう人間かというのをよく分かっているので。それほど自信がないというと変ですが、そんなに自分が大した人間ではないと思っているので、おのずとそういうスタンスになりますよね。威張れないし、いつも本当に精いっぱいという感じですね。
――松浦さんにとっての「良い文章」の定義はあるのでしょうか。
1つはありのままを書くということ。もう1つは、照れないこと。
こんなことを書いたら笑われるかなとか思うことはあると思うんですけど、やっぱり僕は照れずに書いた文章は素敵な文章だろうと思いますね。
エッセーでも小説でも、僕らは感情をもっている人間なので。その感情を素直に、照れずに、ありのままを書くことが大事だと思います。今の時代、AIで文章はいくらでも書けるらしいですが、感情は書けませんからね。やっぱり僕らでしか書けないものがあって、そのためには、照れずに自分の心の中を素直に書くということが大事だと思います。
書くということは1つのコミュニケーションなので、いくら表現といっても、それを読者がどう受け止めるかということも考える必要があります。どのくらい照れずに書くのかというバランスも大事ですよね。だから、自分にとって1番大切な人に読んでもらう気持ちで書く。相手を傷つけてもいけないし、変にびっくりさせてもいけない。いつも分かりやすく書くことが大事です。
■コンプレックスとの向き合い方
――松浦さんの他のインタビューも読んでいると、人の役に立ちたい、世の中から必要とされたいという気持ちが人一倍強い気がします。なぜでしょうか。
僕は学校にもあまり行っていなかったし、勉強もほとんどしてきませんでした。今の時代はだいぶ減ったと思いますが、僕が10代、20代の頃は、学歴がないと働けないところも多かったですし、僕の勘違いかもしれないけれど差別されているように感じたこともありました。でも学歴がないのは事実だし、自分が原因だからどうにもできない。それでもそういう自分で生きていかなければならないから、どうやったら社会の歯車の1つになれるのだろうと考えていました。仕事で世の中に貢献していかなければ、信用を得られないと今でも思い続けています。そうすると、世の中をよく見なければならないし、好奇心も失ってはいけないし、自分のやるべきことは何だろうと。思いつくことを1つ1つやるしかないですよね。
――そのようなコンプレックスを抱えているようにはとても見えませんでした。
コンプレックスは誰もがあると思いますが、それを拭い去ることはできないと思っています。やっぱり自分自身のことは自分がよく知っているので、みんなが頑張ってきたことを頑張れなかった自分というのは、やはりコンプレックスです。でもそれは事実だから向き合っていかなければならないし、変えられないことだから仕方ないのかなと。
――周りの評価がいくら積み重なっても自分のコンプレックスとは向き合い続けなければならない。そのバランスが今の松浦さんの文章に対する姿勢を作っているのですね。
私自身、人の言葉に敏感なところがあり、そこがコンプレックスでもあります。仲の良い友人と話していても、相手の言葉に対して引っかかりを感じたり、傷ついたりすることが多いです。松浦さんは言葉と長年向き合う中で、言葉との距離感に悩むことはありませんか?
おっしゃるように、言葉遣いはすごく大事だと思います。コミュニケーションツールだから、自分の心遣いや、その人の生き方が言葉に表れると思うんですよね。だからそれを否定してしまうと、その人の生き方を否定してしまうことにもなる。本にも書いたことがありますが、世の中には言葉に限らず、あれ?って違和感を覚えたり、立ち振る舞いなどで残念に思ったりすることはたくさんあります。でもその人の人生の中で、自分にはわかり得ない「よほどのこと」があって、そういうことをしているのだろうなといつも思うんです。悪意があったというよりも、何かしらその人にそういう言葉遣い、そういう態度を取らせている原因がきっとあるのだろうなと思う。でもその原因までは自分は干渉できないじゃないですか。だから仕方ないと僕は思うんですね。そう思うと大抵のことは全肯定できるというか。
――確かにその言動をしている理由は、その人自身も分からないかもしれないですしね。
そうそう。だから自分自身も気付かずに使ってしまっている言葉や態度があるかもしれないけれど、きっと自分では気付かなくて、相手は気付いていたりする。でもそこにも何かしら原因があるわけだから、あまりそこを追求できないし、する必要もないと思っています。だから僕も結構感受性が強い方ですけれど、上手にそれを受け流していく気持ちは大事ですよね。疲れちゃうから。
やっぱり完璧な人っていないじゃないですか。だから、あれ?って思うこともある。それも魅力の一つ、人間味だと思いますよね。完璧じゃないから素敵なのだと。
――ありがとうございます。念頭においてみたいと思います。
■紙媒体の今後に思うこと
――「暮しの手帖」の編集長も務めていた松浦さんのキャリアの中で、紙の本の存在は欠かせないと思いますが、現代の、紙よりもデジタルの時代と言われる世の中をどのように見ていらっしゃいますか?
世の中がテクノロジー化されていくのは自然なことだとも思うし、それに対して否定もしないです。僕は自分なりにそういう社会も楽しんでいこうと思っているんですよね。
紙に印刷されたものを読む時間は、昔は当たり前だったけれど、これからは逆にすごくぜいたくなものになっていく気がする。それはそれで大切にされていく気がするんですよね。だから存在は変わっても残っていくものだと思うし、その残っていくものの中で、自分に何ができるのかということを考えていければ良いのかなと思っています。
――ゼロになるわけではなく、逆にぜいたくなものとして大事にされるのではないかと。
あとは身の回りにいつもあったものがなくなっていくことで、改めてその価値を再発見して、より一層大事にしようという気持ちも生まれると思うんですよね。だから新しいテクノロジーによって紙媒体は身の回りから減っていくだろうけど、残り方が絶対にあるはずだから。残っていくものを大切にしていく人でありたいなと思います。
■新たなことに挑戦すること
――10代での渡米や「暮しの手帖」の編集長を9年間務めた後に、クックパッドに転職されるなど、色々なチャレンジをしてきたと思いますが、不安ではないですか?
不安ですよ。ただ、ワクワクしますよね。すごく。まだまだ自分は成長できるだろうと思うし、まだ知らない自分の才能があるだろうなと思っているから、自分を変えていきたいんです。自分を変えるためには、新しい環境で新しいことに取り組まないと変わらないと思っています。
――不安よりも、ワクワクが大きいですか?
そうですね。だから成功しちゃうとつまらなくなっちゃうって言うんですかね。新しいことをやりたくなってしまう。そうやっていつも自分が困っている状態の方が僕は楽しい。だからできないことを、やりたいと思います。
取材後記
松浦さんのお話は、全てを細かく語るというよりは外の枠組みを教えてくださり、そこから読んだ人それぞれがヒントを見つけ出せるような、そんな印象がありました。私自身も直接お話を聞いている間は難しく感じた箇所もありましたが、記事を書きながらだんだんと理解できていくような、不思議な感覚になりました。
取材の中で「人ができない経験をたくさんしてきた松浦さんでも、後悔していることはありますか?」という質問をした時に、「後悔はない。反省はしていますけど。過去のことは変えられないから受け止めるしかない。でも過去の失敗があって、今の自分がいる」とおっしゃっていました。数々の成功を手にした今でも、見て見ぬ振りはできない過去がある。でも、それはあくまでも反省点であり、後悔ではない。私たちも、日々の「後悔」を未来に生かせる「反省」に変えて歩んでいけたら、今の自分をもっと好きになれるのかもしれません。
今回は個人的に思い悩むことの多い「言葉との距離感」についてのご相談にまで発展してしまいました。人にはそれぞれ悩みがあって、それは他の誰かからすると悩むほどのことではないのかもしれない。今回相談させていただいた私の悩みも、他の誰かからすると全く理解できないことだと思います。ただ、もし同じ悩みを抱える同士の方がいらっしゃったら、考え方が変わるヒントになるかもしれません。この記事がそんなあなたにさえ届いていれば、とてもうれしいです。
(斉藤梨佳)
公式インスタグラム
https://www.instagram.com/yatarom/
グッとグルメ(10/17午後4時から配信)