水墨の流動的な表現を好んだ画家の丸木位里(1901~95)と、人物表現が得意だった妻で油彩画家の丸木俊(1912~2000)が共同で制作した15部の連作「原爆の図」。この大作を展示するため1967年に開館した当館は、天井の高さや壁の長さまで作品に合わせて設計されています。その中でも50年2月に発表された「第1部 幽霊」は、位里のふるさと広島に原爆が投下された45年8月6日の光景を描いたものです。
原爆投下直後、疎開先の埼玉から広島に向かった位里。俊も合流して1カ月ほど滞在しました。本作は、2人が目にした惨禍の記憶に他者の記憶を合わせて構成されています。焼けただれた皮膚を引きずりながら歩く人々の行列は、爆心地から2・5キロの三滝町で被爆した位里の母スマ(1875~1956)の記憶ともほぼ重なる。丸木夫妻はスマの記憶に影響を受け、作品に落とし込んでいるのでしょう。
美術の専門教育を受けていないスマも戦後、70歳を過ぎてから絵を描き始め、農作業を通じて触れた自然や里山の風景などを明るい色彩で表現しています。原爆を題材にした作品も描いていて、「ピカのとき」もその一つ。50年代に自身の体験を絵にしました。「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」という言葉を残しています。「原爆の図」の重い世界とスマの明るい世界は裏表で、実は同じことを表現しようとしているのではないでしょうか。
(聞き手・尾島武子)
《原爆の図丸木美術館》 埼玉県東松山市下唐子1401(問い合わせは0493・22・3266)。午前9時~午後5時(12~2月は9時半~4時半)。900円。原則(月)[(祝)(休)の場合は翌日]休み。
学芸員 岡村幸宣 おかむら・ゆきのり 2001年から同館勤務。社会と芸術表現の関わりを研究し、展覧会の企画などに携わる。14年6月から専務理事を併任。 |