「アフター・ヤン」(2021年) 「テクノ」と呼ばれる人型ロボットのヤン、中国系の養女・ミカ、養父母が暮らす近未来が舞台です。
緻密な線画と妖しくきわどい表現が脳裏から離れない、春陽堂書店「江戸川乱歩文庫全集」の表紙をご存じの方も多いのではないでしょうか。その装丁を手がけたのは、銅版画家の多賀新さん。4月17日(月)~28日(金)に東京・銀座の養清堂画廊で2年ぶりの個展の開催を予定するなど、今も旺盛な制作活動を続けています。そんな多賀さんに多大な影響を与えたという映画が、セルゲイ・パラジャーノフ監督の「ざくろの色」でした。多賀さんの制作秘話など、3月17日付け朝日新聞紙面「私の描くグッとムービー」欄に収めきれなかったお話しをお届けします。(聞き手・鈴木麻純)
ーー銅版画家の多賀新さんに、大切な映画の一本として「ざくろの色」を挙げていただきました。どんな映画なのか教えてください。
多賀 アルメニアの吟遊詩人サヤト・ノヴァの幼年から晩年までを描いたものと言われています。幼年時代をへて宮廷詩人となり女性に愛を捧げ、その後、幽閉のような修道院時代に冠婚葬祭を取り仕切る中で、人々の人生の真理に触れ、やがて死を迎える。終始、幻想的で謎めいた展開でつづられ、説明もなく、セリフもほとんどない。そもそもこの映画のタイトルは「サヤト・ノヴァ」としていたのですが、検閲により「ざくろの色」に変更され、本編も大幅に削られてしまっていることもあり、ストーリーを読み解くのは困難ですし、難解といわれるゆえんでもありますね。
ーーこの映画との出会いは。
多賀 錦糸町の映画館に貼られていた宣伝ポスターを見かけたんです。そのときの鮮烈な印象といったら、全身を稲妻が走り抜けたような感覚です。おかしなことを言うと思われるかもしれないですが、僕がずっと夢で見ていたような世界がそこに広がっていたんですから。すぐに映画を見に行きました。ソ連の映画といえば、アンドレイ・タルコフスキー監督とか映画「戦艦ポチョムキン」などは日本でも知られていましたが、この映画で初めて、セルゲイ・パラジャーノフという監督がソ連にいることを知りました。
■前世の国を旅して
ーー見てすぐにこの映画と監督のとりこになってしまった?
多賀 そう。自分で初めて購入したVHSの映画はこれですから。好きが高じて、2014年にはアルメニアまで訪問しました。パラジャーノフ博物館に行きたかったんです。「ざくろの色」でBGMのように聞こえていた笛の音、あれを奏でていた笛も展示されていますし、人形やコラージュ、デッサンなどが所狭しと並んでいて見応え十分でした。ちなみにここの館長とはね、お金を払うと一緒に写真をとってくれるので、撮らせてもらいました。
ソ連時代に危険人物とみなされたパラジャーノフは何度も不当に逮捕・投獄され、映画界の著名人であるフェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティたちの抗議運動の末、釈放されたのですが、再び投獄。ゴルバチョフ政権時代のペレストロイカでようやく釈放され、さぁこれから、というときに肺炎で66歳の生涯を閉じてしまうんです。投獄中の過酷な強制労働が心身を蝕んでいたのでしょうか。彼が残した脚本は32本もありましたが、映画として日の目を見ることなく葬られ、さぞかし無念だったことでしょう。
アルメニアは僕の前世の国だと思っています。首都エルバンの他に、ノアの方舟(はこぶね)が漂着したのではといわれる「アララト山」のふもとへも足を延ばしました。今回の絵にも描きましたが、アララト山は「大アララト山」と「小アララト山」の二つあるんです。自分はそのことを知らなかったのに、以前、アララト山をイメージして描いた絵には、なんとなく二つの山を描いていたんですね。そんな偶然もあって、この地に縁を感じているのです。映画の主要な撮影地であるハフパッド修道院も訪ねましたよ。千年以上の歴史のある建造物で、世界遺産にも登録されています。地震が多く、紛争も多い辺境の地で、これまで維持されてきたのが奇跡のように思います。
■夢の世界に浸る
ーー「ざくろの色」に夢中になった理由はなんでしょう。
多賀 映像作品なのに、絵画を見ているようでしょう。抑制的で、登場人物たちの動きもパントマイムのような、歌舞伎や能の「型」のような動きで、非日常の世界にいざなってくれるんです。映画には民族衣装やその他の小道具もパラジャーノフの審美眼にかなったものが用いられ、計算されつくした画面構成になっています。登場人物としてはそこそこ多いはずなのに、役者の数は極端に少ない。主演の一人ソフィコ・チアウレリが、青年時代の詩人、その恋人、尼僧、天使、道化師の一人5役をこなすという配役で、はじめは「似ている人がでているなぁ」と感じただけで、同一人物とは気がつかなかった。この役者はねぇ、ため息がでるような美しさ、この一言に尽きるんです。この映画には自分の夢の世界が映像の中に詰まっていて、まさに「デジャヴ」という表現がぴったりな作品なんです。
別の話ですが、1982年だったかな、ユーゴスラビアのベオグラードに行った際、「詩人の発表会があるから見に来ないか」というのでノコノコ付いていったんです。英語でさえカタコトな僕は内容なんかちっとも分からない。でも詩人はギター片手に朗々と吟じているんだよね。これが心地いいんだ、オペラを聴いているような陶酔感があって。その時「言葉なんていらないんだな」って気がついたんです。親切なガイドさんは一生懸命通訳してくれようとするんですが、それが返ってうるさくて。もう黙ってくれ、僕はこの世界に浸りたいんだ!って怒りそうになってしまった(笑)。日本の琵琶法師とかもそういう存在だったんじゃないでしょうか。字が読めず、言葉の意味が分からなくても、心が動かされてしまうものに弱いんですね。
■ガンジス川と魚シリーズ
ーー映画やアルメニアなど海外への旅は、多賀さんの作品制作に影響がありましたか。
多賀 もちろんありました。以前アルバイト的に着物のデザインの仕事をやっていたことがあったんです。この時、日本の古典や絵巻物をずいぶん勉強しまして、日本画独特の「余白の美」を多く学びました。日本では僕の絵は「西洋的」といわれますが、西洋に持っていくと「エキゾチック」「日本的」と評価されるんです。西洋絵画は画面を埋め尽くすような描き方をするので、「余白」を意識した画面構成が珍しいのか、評価が逆転するんですね。緻密に描き込んで画面を埋め尽くす……。それだけではオリジナリティーは生まれない。そうした「余白の美」を古典から学んだのと同様、パラジャーノフの映画も古典的で、彼の映像から学び、刺激を受けることが多いのです。
以前、ハンブルクで絵を勉強したときに頻繁に問われたのは、「あなたは何の宗派なの?」と。日本では日常生活であまり宗教を気にかけませんが、文化の違いか、海外では大体聞かれるんですね。で、「日本は仏教があるでしょう? なぜそれを信じていないの?」と聞かれて困ったので、思い切って仏教とはなんぞや、を確認してみようとインドに行ったことがあります。でもインドはほとんどがヒンドゥー教で、あとはイスラム教・・・と、仏教はごく少数派でして。彼の地で仏教の神髄に触れることは諦めました(笑)。
でもあの雄大なガンジス川でみた光景で忘れられないものがあるんです。川で魚が何かを食べている。なんだろうと目をこらすと、川に流された人間の遺体だったんです。そうこうしていると、その魚を人間が投網して捕らえ、食べる。この命の循環に激しく心を動かされて、以来、人間と魚が融合したような「魚シリーズ」と呼ばれる絵を多く世に出しました。この絵はだまし絵で有名なピーテル・ブリューゲルのようだ、とよく言われましたが、彼の影響を受けたものではありません。アルメニア訪問後はここまでの創作はないですが、よく仏像を描くようになりました。銅版画家って、文学少年・少女が多いように思います。物語を聞いてそこからイメージを膨らませて作品にする、というスタイル。でも僕は視覚からうけた刺激をもとにイメージを膨らませて、作品にする「視覚人間」なんです。視覚からの刺激がそのまま創作意欲につながるので、映画などをみるとすぐにイメージが湧いてしまって、頭の中でデッサンしているんです。映画見た後は、興奮してそのまま湧いたイメージを描く。そんなスタイルです。
■乱歩の世界にふさわしかった
ーーパラジャーノフ以外にも影響をうけた映画監督はいますか。
多賀 フェデリコ・フェリーニやジャン=リュック・ゴダールなどからも影響をうけましたね。春陽堂書店から出版されている「江戸川乱歩文庫全集」の装丁画は、フェリーニの映画を見てその影響をうけて描いたものがあります。もともと描きためていた作品を出版社の担当と一緒に装丁画に選んでいったものです。乱歩が手がけた子ども向けの読みものの「少年探偵団」は読んではいましたが、乱歩作品から影響を受けて描いた絵ではないんです。
ーー先ほど視覚人間とおっしゃった意味がよく分かりました。しかしあのトラウマ級の表紙絵が描き下ろしでなかったとは。
多賀 先方の担当者は、それまでに僕が出していた作品を熟知していたから、これは「屋根裏の散歩者」にぴったりだ……とか、これは「陰獣」がふさわしい……とか。自分でもびっくりするくらい、乱歩の世界観にしっくりなじむものを選べたな、と驚いています。
■意味は分からない。それでいい
ーーアルメニアは再訪されているのですか。
多賀 何度かお誘いを受けるのですが、お断りしているんです。初めて行ったときのイメージが良すぎて、それを壊したくないから(笑)。アルメニアの人たちは酒が入るとすぐに歌うし踊るし楽しいんです。踊りはコーカサス地方のダンス、いわゆる「コサックダンス」ですね。僕も初めて訪れたときは「日本を代表して歌え!」と言われて参りました。こちらは筋金入りの歌嫌いで、カラオケすらしないんだから。でも郷に入っては従うもの、と腹を決めて田谷力三の「海賊ディアボロ」を披露しましたよ。博物館を訪れた時も、海外からの来訪者が珍しいのか、羊皮紙に書かれた貴重な旧約聖書を見せてくれました。戦乱が多く造形物は破壊されつくしてほとんど残っていませんが、書物だけは甕(かめ)に入れて保管したそうで、いきいきと当時の状態を伝えていました。この蔵書群が彼らの財産であり、自慢の品なんです。中でも目を引いたのは、アルメニアの数字を表した古語らしいと現地の方から聞いた文字で、オウムと思われる鳥をモチーフにしたヒエログリフのような文字が色鮮やかに書かれていました。今回の絵の右脇に描いた絵文字は、それをモチーフにしたものです。意味は分からないんですが、それでいいんです。これらの経験が夢のように楽しかったので、果たしてそれを超えられるか……。そうしたこともあって、再訪はしていません。まぁ今は行こうにも新型コロナやウクライナの問題もあるので難しいでしょう。
◆たが・しん
1946年生まれ、北海道出身。絵で身を立てると北海道から単身上京し、サンドイッチマンやストリップ劇場の手伝いなどで生計を立てる傍ら、銅版画の技術を独学で習得。その後、40カ国以上を訪ね歩いて研鑽(けんさん)を積む中で、描きためた全集が春陽堂書店担当者の目に留まり、「江戸川乱歩文庫全集」の装丁画を手がけることに。「乱歩と言えば春陽堂」の代名詞に一役買うことになった。その後も精力的に制作活動を続け、近年では鉛筆画も多く手がける。また、第70代横綱・日馬富士の化粧まわしのデザインを手がけたことでも知られ、金糸をふんだんに使った絢爛豪華な化粧まわしは数千万円ともささやかれ、話題になった。
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江戸川乱歩について|春陽堂書店ネットショップ (shunyodo.co.jp)
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多賀新作品集 鉛筆画の奇跡|春陽堂書店ネットショップ (shunyodo.co.jp)。
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美醜をない交ぜにしたような独特の創造物が、白と黒の版画の世界で躍動する。見てはいけないモノをみてしまったような、妖しくも美しい作品を生み出す多賀新さんが、好きな映画を語って描く仕事を受けてくださるのだろうか……。当たって砕けろ、の気持ちで飛び込んだら、あっさりご快諾いただけて拍子抜けしたものでした。
しかし油断は禁物。何と言ってもあの乱歩の装丁を一手に引き受ける人だ。きっと気難しくて、取っつきにくい芸術家肌の方に違いないと、お会いするまで緊張しっぱなしでした。
千葉県市川市にあるアトリエ兼ご自宅にお伺いすると、名刺を取り出すのにモタモタ、おろおろしている私に「多賀新です。こんな顔してまーす」と、一瞬だけマスクを外して、ご尊顔を拝ませてくださる心遣い。緊張が一気にほぐれました。アトリエの中の銅版画制作の設備や、子どもの産毛で描いたのかと思われるような繊細な線画を見せてくださるほか、元横綱・日馬富士の化粧まわしのデザインを手がけられた時の裏話など、映画以外のこともたくさん聞かせていただけました。
もちろん本題の、とりわけ今回ご推奨いただいた映画「ざくろの色」と、その監督のセルゲイ・パラジャーノフについてはその愛が止まらず、湧き出る泉のごとく話が出るわ出るわ……。アルメニアという国に対しても「前世はアルメニア人だ」と豪語するくらい思い入れの強い土地のようで、トルコ側からアララト山を訪問しようとした時は、紛争が激しく近づくことが出来なかったと、本当に残念がっていました。
また、アルメニアでは「アララト」という名前のお酒がことのほかおいしかったと教えてくださいました。あのウィンストン・チャーチル英首相も愛好家だったとか。ソ連時代はウラジオストク経由で日本にも輸入されたそうですが、今はそれがなくなり、簡単に入手できないのが残念だよ、と名残惜しげに空瓶を見せてくれました。そのお酒のためにも、イメージを損なうことを恐れず、アルメニアに再訪されることをオススメしたいものです。
取材を終えて引き揚げる際に、バス停まで送ってくださった多賀新さんは、ストリップ劇場での住み込み時代のことを話してくださいました。サンドイッチマンをやっていたら、友人から「ストリップ劇場で看板描けるヤツ、探してるよ」と聞いて「女の裸、描くの得意です!」と引き受けたんだとか。その話をしてくださる多賀新さんは、少年がイタズラをするときのような、ワクワクした表情だったのが印象的でした。少年らしさを残した銅版画の大家は、バス乗る私に手を振って送ってくださいました。
銀座・養清堂画廊での2年ぶりの個展のほか、春陽堂書店からは、多賀新さんが手がけた表紙絵はそのままに新装丁になった乱歩全集や、多賀新さんご自身の全集も発売されています。ご推奨になった映画「ざくろの色」の他に、これらの作品も合わせて、彼の世界観にも浸ってみてください。
(鈴木麻純)