南国の海に癒やしを求め、多くの人が訪れる沖縄のリゾート。その原点がここにあるという。
館内に雨が降り、雨粒が太陽の光で輝いていた。三日月形のビーチを抱き込むように立つL字形の「ザ・ムーンビーチ ミュージアムリゾート」。浜に向けて開けたピロティーは4階まで吹き抜けで、館全体に海と空の気配が感じられる。
1972年に本土に復帰し、海洋博開催が決まった沖縄。観光産業発展を見通した国建(くに・けん)の国場(こく・ば)幸一郎は300室のリゾートホテル建設を計画、弟の幸房(1939~2016)に設計を託した。
幸房が描いた建物は延べ面積約4万平方メートル、ピロティーだけで当初予定した敷地と同じ約1万平方メートルもあった。「大きく枝葉を広げるガジュマルの木陰」に着想したピロティーは、幸房が目ざした沖縄の風や光の再現に欠かせなかった。
「東京で過ごしたからこそ、沖縄の風土を強く意識したのでは」と国建の後輩で、設計チームの一員だった福田俊次さん(75)は話す。沖縄生まれの幸房は中学から上京、早稲田大で学んだ後、東京の設計事務所に約5年間在籍した。
設計図に合わせて土地が買い足され、大建築は実現された。一方、建築費を抑える工夫も徹底した。構造のコンクリートは打ちっ放しならぬ「やりっ放し」。型枠の使い回しでコストを抑えた表面は荒々しく、当初は塗装もしなかった。吹き抜けを囲む一部が鉄筋の手すりには植物を絡ませ、武骨さをカモフラージュした。
75年、海洋博に合わせ開業した後は建築関係者の見学が相次いだ。オープン当初から勤務する喜納進さん(76)は「図面を見たがっている、コピーもほしがっていると(幸房に)伝えると、いいよ、と」。周辺でホテル建設を計画するライバルにもアドバイスを惜しまなかった。「いいものを造ってほしいと思って」
90年代後半に沖縄の別の大規模リゾート建設にも携わった福田さんは「ムーンビーチが原点」と話す。「幸房さんは多趣味でおちゃめ。建築も人も無駄がないと息苦しいね、と言っていました」と懐かしんだ。
(深山亜耶、写真も)
DATA 設計:国建(国場幸房) 《最寄り》:那覇空港からバス |
車で5分の「シーサイドドライブイン」(☎098・964・2272)は1967年創業のドライブインレストラン。創業者が仕事で出入りしていた米軍基地内のレストランのスタイルを、地元で実現した。メニューはステーキなどの洋食から中華、和食まで、マッシュルームとハムのスープが看板商品だ。午前8時~午後9時(ラストオーダー8時)。テイクアウトは24時間営業。(水)休み。