駅から車で5分ほどの住宅地に、要塞(よう・さい)のような、巨大な石の彫刻のような建物を発見。これは何?
「手造りの建物としてそれを最後にしたい」。日本を代表する建築家・村野藤吾(1891~1984)はそう述べて谷村美術館の設計を受け、亡くなる前年に完成した。展示するのは彫刻家・澤田政廣(せい・こう)(1894~1988)の仏像彫刻10点ほど。収集した地元・谷村建設社長(当時)が計画、澤田自身が村野に設計を依頼した。
シルクロードのオアシス、中国・敦煌の遺跡をイメージした建物の外壁はくすみ、完成後40年の月日を思わせる。村野を研究する京都工芸繊維大学・角田曉治教授(58)は「時間が経った時に建物が完成するという考えが村野にはあった」と話す。
荒々しさもある外観から一転、内部はやわらかな光と曲面に包まれる。石窟のような空間に仏像が安置された不定形の展示スペースが6カ所。トップライトや壁面のスリットから差し込む自然光と照明が仏像を照らす。心を静める入り口の回廊から、余韻に浸る出口への回廊まで、自然と目に入る仏像に導かれるように進む順路は、「巡礼」のようでもある。
残された設計図面には「模型による」「模型参照」などと直筆で書き込まれている。「村野はしばしば、粘土で作った模型を自宅に持って帰り、枕元において寝る前に触り、起きたらまた触り、という作り方をした」と角田さん。
「現場で最終検討」という趣旨の書き込みも多い。90歳を超えていた村野は時には医師を帯同して現場に足を運び、建築主でもあり施工を担当した谷村建設に直接指示を出した。外観で重視した「地面から生えたような感じ」は、前庭に敷かれた砕石から立ち上がる曲面を「自ら熊手を持って」なでつけて見せたという。
仏像と向き合う美術館の完成に、彫刻家の澤田は「夢のよう」と述べた。角田さんは「遺跡を想起させる物語の力、形態の力、空間の力が相互に響き合う稀有(け・う)な建築」と語る。
(深山亜耶、写真も)
DATA 設計:村野・森建築事務所 《最寄り駅》:糸魚川駅からバス |
徒歩15分の翡翠(ひ・すい)園(問い合わせは025・552・9277)は、足立美術館(島根県)の庭園などが代表作で、谷村美術館構内の「玉翠園」も手がけた造園家・中根金作による回遊式庭園。紅梅やモミジの紅葉など四季折々の景観を楽しめる。園内には糸魚川産のヒスイなどが素材の彫刻を展示する「ひすい美術館」も。午前9時~午後4時(入園は30分前まで)。600円。原則(火)(祝日の場合は翌日)休み。12月~3月は休園。