俳句、短歌の革新に取り組み日本の近代文学に多大な影響を及ぼした正岡子規(1867~1902)。生まれ故郷の松山市にある当館は、子規関係の資料をはじめ約7万点の資料を収蔵しています。
まっすぐに伸びる青麦、薄紅色のジンチョウゲ、そして右上の「沈丁や麦や大根やつかみさし」の句から大根の花を描いたと思われる「草花図」は子規が亡くなる1年半ほど前の写生です。脊椎(せきつい)カリエスを患い、すでにほぼ寝たきりの体で、同郷の友人で海軍軍人の秋山真之(さねゆき)に贈るために描かれました。
絵の周りには病床で詠んだ10句とともに、「この日珍しく苦痛が少なかったので左向きに寝て頭を枕につけたまま写生した」との文章が添えられています。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」で子規とともに主人公の一人である真之はその2年ほど前、留学中の米国から子規に羽根布団を贈りました。柔らかく温かい布団を子規は喜び、最晩年の随想をつづった「病牀六尺」にも「目立ちたる毛繻子(けじゅす)のはでなる毛蒲団(けぶとん)一枚、これは軍艦に居る友達から贈られたのである」と記しています。
この絵を子規が真之に直接渡すことはなく、一周忌の頃に母の八重から贈られたようです。真之は家宝として大切にしたと言われています。
「玩具帖(がんぐちょう)」は子規の死後、親族が残された写生画から4図を選び折本(おりほん)に仕立てたもの。「酉ノ市ノ於多福(とりのいちのおたふく)」は亡くなる約1カ月前、1902年8月23日と27日の2日間で描かれました。門人から贈られた浅草鷲(おおとり)神社の熊手をにぎやかな色づかいで描き、パリから帰国した洋画家・浅井忠が訪ねてきたことも記されています。
心から愛し心の支えとした草花や、身の回りの愛着あるものを丹念に写生することは、最晩年の子規の喜びだったのでしょう。死期が迫る中でも衰えない表現のエネルギーや探究心、命の輝きを感じ取ることができます。
(聞き手・中山幸穂)
《松山市立子規記念博物館》松山市道後公園1の30(☎089・931・5566)。午前9時~午後5時(5~10月は6時まで、入館は30分前まで)。400円。原則(火)休み。
◆松山市立子規記念博物館
https://shiki-museum.com/
学芸員 徳永佳世さん とくなが・かよ 松山市の「坂の上の雲ミュージアム」勤務を経て2023年から現職。 |