「アフター・ヤン」(2021年) 「テクノ」と呼ばれる人型ロボットのヤン、中国系の養女・ミカ、養父母が暮らす近未来が舞台です。
テレビ、VHS、レーザーディスク、DVD、オールナイト上映……。中学生で初めて見てから、大人になった今も何か引っかかるという「惑星ソラリス」の魅力を、日本画の伝統技法と、イコンやフレスコなどの西洋絵画の要素を融合させて描く日本画家・村岡貴美男さんに語っていただきました。(聞き手・島貫柚子)
◆惑星ソラリス
製作国=ソビエト連邦
監督=アンドレイ・タルコフスキー
原作=スタニスワフ・レム
音楽=エドゥアルド・アルテミエフ
◆Caution 映画を見るときの注意(by村岡)
長いし眠くなる
SF的なアクションシーンは、あんまり期待して見ちゃうとダメ
――紹介する一本に、「惑星ソラリス」を選んだ理由を教えてください。
うーん。簡単に言ってしまうと、この映画の持つ雰囲気が好きなんです。小説でも映画でも、1回では「あれはなんだったんだろう」っていうようなものが昔から好きで。ただそれだけだと「難解」で終わってしまうものもあるんですけど、この映画は「何か引っかかる」という状態が持続するんですよね。
――「惑星ソラリス」のあらすじを教えてください。
映画は、故郷のシーンから始まります。海と雲に覆われた惑星ソラリスを調査するために、人類は軌道上にステーションを作り、3人の科学者を派遣します。しかしステーションとの通信が途絶え、地球から主人公のクリスが派遣される。クリスが到着するとステーションは荒廃していて、異変が起こったのだと分かります。3人の科学者のうち1人は自殺したらしく、残った2人の科学者は何かに怯えていて部屋にこもり、ことの本質に触れるようなことは答えてくれません。
そうするうちに、主人公の前に10年前に自殺した“妻”が現れます。ここからはSFっていうより、人間ドラマというか、恋愛ドラマみたいな。自殺に追いやってしまった妻への贖罪の気持ち、“妻”を人として扱うかどうか、しだいに人間らしい感情を抱き始めた“妻”への愛情……など葛藤が描かれます。
最後には……これ言っちゃうとオチになっちゃいますが、大丈夫ですか。科学者たちは、「ソラリスの海が知性を宿していて、人間が眠っている間に深層心理に働きかけて、心の中にあるイメージを実体化している」と予想を立て、主人公の脳波をソラリスに照射。すると妻はもう現れなくなり、主人公が地球に帰ったかのような映像が流れるんですけど……引きで見ると、ソラリスの上に故郷が実体化していたっていうラストですね。
――ありがとうございます。この最後の「分けのわからなさ」に引きつけられているんでしょうか。
はい。それもですし、全体に漂っている独り言を言っているような静寂も好きですね。
とてもいいなと思った役者さんとスタッフの音楽家を以下に挙げますね。
ユーリー・ヤルヴェト(科学者スナウト役)……ソラリスを相手に、本当に無力さを感じているというか、くたびれ感が全身に表れているんですよ。哲学的なセリフを言うこともありますけど、「諦め」みたいなものが全身に漂っていて好きですね。
ナタリヤ・ボンダルチュク(主人公の妻ハリー役)……繊細さもある美しさが魅力です。夫とのいさかいの末に自殺したという設定なので、腕に自殺した時の注射痕が残っていたり、何度も蘇生したり。ちょっと怖さもあります。活発な綺麗さというより、影のある美しさでしょうかね。
エドゥアルド・アルテミエフ……映画の好きな理由のもう1つに曲があってですね。モスクワオリンピックを担当したエドゥアルド・アルテミエフっていう人が担当してるテーマ曲、バッハのオルガンコラールがすごく好きで。エドゥアルド・アルテミエフのCDは結構買っています。シンセサイザー弾き倒しみたいな感じのアルバムもありますね。
――お好きなキャラクターに、主人公が入らなかった理由は何かあるでしょうか。
ドナタス・バニオニス(主人公クリス役)は、個人的にはもうちょっと繊細さが欲しいなって感じがありました。葛藤のあるキャラですけど、役者さんが割とマッチョなんですよね……。僕の個人的な趣味ですけど、もう少し繊細な感じの役者がいいなと思ってしまいました。
――冒頭では、日本の首都高が映りますね。
そうですね。結構長尺で。「長すぎ」とか言われてますけど、当時、東京は未来都市みたいだったそうで。日本人は看板を読めてしまうので、首都高だって分かりますけど、日本語を読めない人が「ソラリス」を見たらどんな感じに映るんでしょうね。それはちょっと興味があります。
◆小説で映画を補完
スタニスワフ・レムの原作も何回も読んでいます。映画と小説は微妙に違うんです(①~③)が、読んでいれば理解が深まります。
①妻の服が脱げない……あれ、理由わかりましたか? わかんなかったですか。主人公の記憶をもとに奥さんを復元しているので、ディティールは再現できないっていう設定なんですよね。妻が着ているのは服に見えるんだけれど、ボタンで脱げる仕様にはなっていなかった。1回目の妻がそれを学習したので、2回目に現れる妻は、服をハサミで切ります。
②通気口にピラピラ……あれ、説明してましたっけ? してましたか。通気口に切った紙をくっつけて、木の揺れる音を恋しがるのも、映画に漂っている「郷愁」みたいなものに繋がってくんだと思うんですよね。別に日本が舞台じゃないんですけど、僕はやっぱり何か郷愁のようなものを感じますね。
③子供の頃のビデオ……映画ではあんまり触れられてないですけど、小説を色々読むと、お母さんとの不仲も原因でハリー(主人公の妻)は自殺をしたっていうようなことが触れられています。「(義母は)私のことが嫌い」っていうようなハリーのセリフは、映画でも出てきますね。
ーーえーー。ちょっと、見直したくなってきました。
◆タルコフスキーナイト
大学に入って、25、26の時に、高田馬場にタルコフスキー作品のオールナイト上映を見に行きました。「惑星ソラリス」「サクリファイス」「ノスタルジア」……あともう1本何かあったような。劇場は小さかったですけど満席でした。僕は予備のパイプ椅子に座ったので、すんごいお尻が痛くて。痛すぎて寝てましたし、「もう早く終わってほしい」みたいな。やっぱり、タルコフスキーは1日1本だなと思いましたね。
――見たときに、私も冒頭から寝てしまいました。もちろん世界観は好きですし、面白い映画だったんですが……
はいはい。でも、タルコフスキーの映画の中では、もしかしたら一番起伏があって、眠くない映画かもしれません。
――オールナイト上映はスクリーンでの初回ということですが、テレビとの違いは何かありましたか。
没入感がありましたし、画面のざらつきが味わいになっていました。ブラウン管は光を「発する」感じですけれど、映画は「映す」というか、そういう意味で、映画っていうのは間接照明的な見方とも言えますよね。
◆オレンジのグラデーションがいっぱい
タルコフスキー=水とは特段結びつけないようにして描きましたけど、印象的ではあります。水草が揺れている場面、最後に家の中で雨が降っていたり、手を水で洗っている場面とか。ソラリス自体の持つ色のイメージは褪色したようなブルーとかグリーン。でも、ストレートに水を連想しないように、あえて赤やオレンジの岩絵の具で描きました。
水彩絵の具は、青だと青ですけど、岩絵の具は諧調がすごくいっぱいあるので、同じ名前でも粒の大きさによって違うんです。たとえば青でも、粒が細かいものから荒いものまで5、6、7、8、9、10、11、12、13とか、8~10段階ぐらい分かれるので、同じ色でも鮮やかさが全然変わることもある。イラストは大きく分けると、白、オレンジ、黒と3段階ですけど、オレンジの中のグラデーションがすごくいっぱいあるっていう感じですね。
◆研ぎ出し、洗い出し
通常絵を描いていくのは、プラスの作業なんですが、このイラストは、消しゴムで消すようなマイナスの作業「研ぎ出し」とか、「洗い出し」という技法を使っています。洗い出した時のことを考えてオレンジの下地にあらかじめ凹凸を作っておき、その上から黒を塗って加減を見ながら濡れた刷毛などで洗い出す。隙間には黒が入って、でっぱった部分は洗い流されるという仕組みですね。
――村岡さんがステーションに行ったら、誰が出てくると思われますか。
誰だろう……。本当は希望というか、「会いたい人」なのかもしれないですけど、「ネガティブな記憶」を実体化している気がするんですよね。2人の科学者の場合は、小人とか少女ですけど、主人公に見られないように必死に隠すので。
浪人生の時の予備校で教わっていた、憧れの先生かもしれません。若くして亡くなってしまったんです。亡くなる数日前に、予備校に現れて1人1人にアドバイスをして、帰っちゃったんですよね。日頃は笑ったりしないクールな人なんですけど、最後は笑顔で別れました。僕が止められるものではないんですけど、もっと力があったらなっていうような思いはありますね。
――ソラリスは2000年代になって、ハリウッド版のリメイクもありましたね。
はじめの30分で、「あ、これはダメかも……」と思いながら最後まで見ました。時代が進んで、きっとCGとかSF的なものがすごく発達して、絵的にいいものを見せられるようになっても、そこじゃないんだなっていうのを感じましたね。
――技術的じゃないとすると、何が大事になるんでしょうか。
うーん。絵で言うと品や格だったりするでしょうし、結局は「人間を描いている」っていうことなんじゃないでしょうかね。現実が、映画に描かれた未来を追い越しているので、映画の世界はすごくアナログなんですけど、そこじゃない部分が魅力だから引きつけられるのかなって。ステーションなのに図書室があったり、絵が額掛けなってたり、燭台でロウソクが灯っていたり、アナログさをツッコミ出すとキリがないけれど。
スナウトのセリフで、「科学じゃなくて、人間が興味あるのは人間だ」みたいなものがありますけれど、「ソラリス」は宇宙じゃなく人間を描いてるから、普遍性があるんじゃないでしょうか。SFという設定なので、あのドラマが成立する。それはそうなんですけど、 SFっていうことを抜きにして見てもいいだろうなと思います。
「惑星ソラリス」はジャンル分けするとファーストコンタクトものですよね。でも全然、戦争とか侵略が起こるわけじゃないですし、宇宙人が出てくるわけでもないですし、 友情とか友好が結ばれるわけでもないですし、モンスターが出てきて食われるわけでもない。あれってリアルなのかなとも思います。人間が仮に宇宙に出てって、他の生命みたいなものと出会うとしたら、人知の及ばないのかもしれないので。そういう意味で非力さ、無力感みたいなものが画面に漂っているんでしょうね。結局手に負えないものって手に負えないし、わからないものはわからない。いろんな解釈ができるっていうようなラストも、この映画の魅力だと思います。
◆モヤっとした感じを伝える
イラストとかだと、間違わないように相手にメッセージ性を伝えることかすごく大事になりますけど、絵画はイラストのようにこの世界を正確に伝えてるっていうことではなく、わからないものを分からないっていう状態で伝えて、そこに間違った解釈があってもいい。自分自身が思っているモヤっとした感じをそのまま伝える。「ソラリス」は、そういう空気感を持っているなと思いますね。タルコスキーの他の作品もそうかもしれないですけど、言葉って記号なので、記号に置き換えると伝わりやすいんですけど、行間がちょっとこぼれ落ちてしまうようなところもあって。イメージをイメージとして伝えることがすごく大事だって気がしますね。タルコフスキーを見終わった後に感じる、「なんか理解できないけど、すごいものを見ました」っていうような感覚ですかね。そういうものを自分も作れたらいいなっていうのは思いますね。
――わからないけど好きだと思う画家は、どなたかいらっしゃますか。
作家の名前であげるのはちょっと難しいんですけど、僕が好きなのはポンペイの壁画。秘儀荘っていう場面がすごく好きですね。あとは南フランス、トゥールーズにある、ゴシック期の彫刻とか。それ自体には名前がないですし、作者が誰かっていうこともよくわからないんですけど、ルネッサンスの写実に行くちょっと手前の時代の彫刻で、西洋のもので、天使を作ってるのに日本のお地蔵さんのような雰囲気もあったり。西洋と東洋が交錯してる時代じゃないんですけど、たまたまオリエンタルな感じも若干するような彫刻になっていてすごく好きですね。
逆にもうちょっと時代が進んで、彫刻なんかがすごくリアルに作り込めるようになった時期になると、あんまり好きじゃない。絵画もスーパーリアルな写実っていうのはあんまり好きではないです。僕自身は「写実」は好きなんですけど、「写真みたいにリアルになっていく」っていうのはやっぱりあんまり好きじゃなくて、そういう部分じゃないところ、含みみたいなものが必要だなって思いますね。
村岡貴美男
1966年、京都府生まれ。東京芸大大学院修了。作品集「秘儀荘」(赤々舎)を刊行。
Instagram: https://www.instagram.com/muraoka.kimio/
Twitter: https://twitter.com/kimio_muraoka
ソラリスは退色したようなブルー。青は青でも、岩絵の具の青には8~10段階のグラデーションがある。
村岡さんのテープ起こしを読みながら、青について物思いに耽っていたからかもしれません。先日、ほろ酔いで家路についた時のこと、細い路地を過ぎたあたりで青い文字が目に映った気がしました。私は足を止めて、それについて考えましたが、「こんなところには、たぶんないだろうな」とマンションへ歩き出しました。家に帰って眠ると、青い文字のことはすっかり忘れていました。マンションと駅は一本道で、その後も通勤や買い物などで何度も歩きましたが、二度目を見ることはありませんでした。一週間ほど経ったころ、飲み会帰りに自宅に帰っていると、また青い文字を見た気がしました。前も似たようなことがあったと思い出したものの、夜更けに確かめるのも怖くなり、マンションへ急ぎました。そして昨日のことです。23時ごろマンションに向かっていると、また青い文字を見たような気がしました。さすがに気になり、数歩戻って見てみると――――ーーーーーーーー「河合塾」
やっぱり、気のせいじゃなかったとホッとしましたが、駅前にあるような予備校がなぜ住宅街に隠れているのか。青い漢字の看板は、映画「千と千尋の神隠し」の湯屋のようで、夜中だけ別の場所につながる入り口のように思えてきました。
別の場所という意味では、ソラリスも似たようなものです。ソラリスは、人間の存在意識に潜り込み、非現実的な存在も作り出せる惑星。「ステーションに行ったら、美大を目指して通っていた予備校の恩師が出てくると思う」と村岡さんから伺ったときに、自分の話をしようか迷いました。私がステーションに行ったら再会する気がしたのも、亡くなった友人だったからです。あの場では言えませんでしたが、取材を終えて考えが変わった部分があるので、少し自分の話を書いてみます。
大切な人との死別というのは、とくに真相が分からないような場合には、人の数だけ痛みの感じ方があるだろうと思っています。私は、油性ペンで目の前を黒く塗られ、考えることを奪われたような感覚でした。心は行き場がないのに、喪失感からは逃れられないような。友人Aの訃報を知ったのは、4年前の春のことでした。
後にも先にも、あの日ほど自分が獣のように思えた日はありません。私自身に対しても、Aにも、世の中にも憤っていました。ふとAに会いたいなと思ったり、自分ばかり年を重ねていくことが切なくなったり、乗り越えたような気にもなったり。ずいぶん前から、誰かに話すこともなくなっていました。そんなタイミングで見たのが「惑星ソラリス」でした。宇宙で亡くした妻と再会した主人公の感情の機微は、私ごとに思えて心に沁みました。いつまでも親しみを込めて語ってくれる人がいたら、故人もうれしいのかもしれないと。ソラリスでAに会ったら私はきっと泣いてしまうので、もう会えなくても、どこかで笑っていて欲しいなと思います。村岡さんに感謝をお伝えしたくなり、この場に気持ちをつづりました。
(島貫柚子)