書聖・王羲之(おうぎし)を学ばずして大成した書家はいません。書・画・篆刻(てんこく)の大家、呉昌碩(1844~1927)もその一人。ただ、他の能書家と一線を画すのは、王羲之の書法にとどまることなく、独自の世界を築いたこと。中国王朝の掉尾(ちょうび)を飾った文人の足跡をたどります。
書道博物館では、特別展「呉昌碩とその時代 苦鉄没後90年」が開催中です。まず、館蔵の「石鼓文(せっこぶん) 安国本(あんこくぼん)」を見てほしい。呉が生涯手本とした中国最古の石刻文字の拓本で、明代の収集家・安国の旧蔵品です。呉は、書に傾倒する30代後半から84歳で亡くなるまで、この石鼓文の臨書に励みました。そこから体得したものを、篆刻のみならず書や画に昇華させ、自らの境地を切り開いたのです。手本に忠実な40代の臨書から模索を感じる50、60代、「呉毒(ごどく)」と呼ばれる筆線の強さが出る70代、そして円熟した精神性がうかがえる80代までを、年代を追って鑑賞できるのも本展の面白さの一つです。
また、石鼓文を基盤に置きながら行書でしたためた「開通褒斜道刻石識語(かいつうほうやどうこくせきしきご)」(館蔵)も見どころ。呉独特の書風が顕著に表れており、張りのある力強さと鋭さが筆線に見て取れます。
中国、日本とも、文化の礎は書(文字)であると言っても過言ではありません。文字離れが進む今こそ、書の大切さに目を向けてもらいたい。
(聞き手・井本久美)
★どんなコレクション?
洋画家で書家の中村不折(ふせつ、1866~1943)が、約40年にわたって独力で収集した中国と日本の書作品を柱とする。金属と石に関係する文字資料を数多く収蔵しているのが特徴。甲骨、青銅器、封泥、石経、仏像、碑拓法帖(じょう)など、重要文化財12点、重要美術品5点を含む約1万6千点。
「呉昌碩とその時代 苦鉄没後90年」(3月4日まで)では、呉55歳筆の「臨庚羆卣銘横披(りんこうひゆうめいおうひ)」(個人蔵)と82歳筆「臨石鼓文軸」(東京国立博物館蔵)なども並ぶ。
《台東区立書道博物館》 東京都台東区根岸2の10の4(TEL03・3872・2645)。午前9時半~午後4時半(入館は30分前まで)。500円。(月)と2月13日休み。
大東文化大・書道研究所所長 高木茂行 たかき・しげゆき 雅号・聖雨(せいう)。青山杉雨に師事。第73回恩賜賞・日本芸術院賞受賞。日展会員。朝日現代書道二十人展メンバー。専門は漢字。起源から書法を解明し、筆法を鑑賞と実技両面から研究する。著書に「おとなの手習い漢字書道入門」など。 |