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私のイチオシコレクション

ゴッホ「ひまわり」とともに

SOMPO美術館

 

 絵画は時とともに色褪せ、名画でも絵の具の剝落やキャンバスの傷みから逃れることはできません。勢いのある筆遣いや黄色の微妙なコントラストが魅力的なゴッホの「ひまわり」。SOMPO美術館は繊細な修復を重ねながら、劣化をおさえる空間で展示を続けています。

 

 ゴッホ「ひまわり」=SOMPO美術館提供

 

 「ここ数年は毎年メンテナンスをしています」。30年近く「ひまわり」と向き合うSOMPO美術館上席学芸員の小林晶子さん(57)は話します。

 

 19世紀の油絵には保護膜として表面にニスを塗っている作品がありますが、そのニスが変色してきています。企画展の展示を入れかえる休館の期間に、修復士が顕微鏡を使いながら変色したニスをはがし、絵の具の剝落を防ぐための処置をしています。2週間ほどかけて「花1輪ずつの作業。多くても2輪ぐらいです」。

 

 1888年に描かれた同館の「ひまわり」。21世紀に入り、経年変化に抗うのが難しくなってきました。黄色い絵の具は光に弱いために茶色っぽく変わり、赤色は退色しやすいことが研究結果から分かりました。展示スペースの光量は、当初の200ルクスから半分に落としています。

 

 「ひまわり」の展示=SOMPO美術館提供

 

 「絵の具が盛りだくさんにのっていて不安定なんです」。厚塗りの筆致だけでなく、キャンバスも小麦やコーヒー豆を入れるようなザラザラとした生地で、それほど質が高くありません。垂直に展示すると重力に負けてしまうので、微妙に上向きにして展示しています。

 

 「ひまわりの凹凸は彫刻みたいです。絵の具はカサカサに乾いているわけではなく、落雁のような感じ。修復士が『綿棒がひっかかるから気を遣う』と言うぐらいで、ほかの絵画よりもメンテナンスが難しいかもしれません」。

 

 名画を後世に引き継ぐには、保存を優先したほうがよいという考え方もあります。それなのに、開館時には常時展示しているのは、多くの来館者に自分の目で実物をみてほしいという思いからです。

 

 SOMPO美術館(手前)

 

 東京・新宿に2020年にオープンしたSOMPO美術館。もともとは1976年に安田火災(現・損害保険ジャパン)が本社ビル42階に東郷青児美術館として開設し、87年に「ひまわり」を53億円で購入しました。20年4月に名称変更し、7月に隣接する新館に移転するなかで、「ゴッホのひまわりに出会える美術館」として知られています。

 

 1987年に日本に到着し、報道関係者に公開された「ひまわり」

 

 「ひまわりは、歴史的な背景を知ると、より一層魅力的になるのではないでしょうか」(小林さん)。

 

 ゴッホのひまわりは、アルルで描いた壺にいけた図柄が7点存在し、そのなかで黄色い背景に黄色い花を描いた作品は3点あります。ロンドンのナショナルギャラリーに所蔵される作品が1作目で、ゴーギャンとのアルルでの共同生活に向けて1888年に描いたと伝えられています。続いて描かれたのが、SOMPO美術館収蔵のひまわりです。

 

 「ゴーギャンと共同生活していた時期に描かれ、1888年11月下旬から12月上旬と推測されています。ゴーギャンとの関係が難しくなり、その12月にゴッホが耳を切る事件がありました。使ったキャンバスは、同じロールをゴーギャンと分け合ったと分かっています。この絵を描いたモチベーションなど意味深いですね」。

 

 黄色い背景の「ひまわり」のもう1点は、アムステルダムのゴッホ美術館に所蔵されています。「ゴーギャンはゴッホにあれこれ言いつつ、この黄色いひまわりが欲しいと言っているんですよ。仕方ないからもう1点書くことにしたのが、3作目なんです」。

 

 「黄色い背景に、同じ黄色の花を描くこと自体が、画期的です」。黄色い背景のひまわり3点は、塗り方や色の印象、コントラストが微妙に違います。SOMPO美術館のひまわりは、ゴッホのサインがなく、花の輪郭を残して背景を先に塗っているなど、早描きのゴッホでも慎重に描いている様子がうかがえるといいます。

 

 2003年、損保ジャパン東郷青児美術館で「ひまわり」が展示。左が同美術館収蔵、右はゴッホ美術館蔵

 

 同館で初めて「ひまわり」が公開された1987年度の入場者数は24万人を超え、開館した76年以来の累計入場者数を1年で突破しました。人気の高さから国内外の美術館への貸し出しの依頼もあり、1990年に大阪「花と緑の博覧会」で展示され、2002年にゴッホ美術館に貸し出し。その「ゴッホとゴーギャン展」では、ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵のひまわりもあわせて3点が一同に展示されました。

 

 東日本大震災が起きた後の2014年には、被災地支援の一環として宮城県美術館にも貸し出しています。しかし、絵画の傷みが気になるようになり、その後は館外に出すのが難しくなりつつあります。

 

 いま、ひまわりは、酸素に触れることがないような密閉した空間に額装され、さらに大きなガラスケースで包む形で展示されています。壁の色を薄い紫色にして、明かりを落とすなかでもナチュラルに観賞できるようにしています。移転前よりも、来館者とひまわりとの距離は近くなり、絵画を掲げる高さを少し下げたことで、より親しみやすい展示を心がけているそうです。

 

 SOMPO美術館3階展示室=同美術館提供

 

 ひまわりが展示されるのは、3階展示室の一角。企画展を観賞したあと、出口に最寄りのスペースで常にみることができます。写真撮影もOKです。ただ、小林さんはこう語っています。

 

 「写真は撮らずに自分の目でみてもらいたいです。こんな大きさだったんだ、こういう印象だったのかというのは実物を見ないと分かりません。実際に見て気づくことを楽しんでいただけるといいなと思います」

 

(野村雅俊)

 

《マリオンコム・朝日新聞夕刊の関連記事》

明るい黄色に隠れた葛藤(イチオシコレクション) https://www.asahi-mullion.com/column/article/ichioshi/2573/

SOMPO美術館(建モノがたり) https://www.asahi-mullion.com/column/article/tatemono/3731/

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