首都圏周辺のご当地キャラクターを紹介する「ご当地キャラ大集合」。第7回は東京都台東区の「台東くん」です。その誕生のストーリーはこうです。
古来、台東区を見守る仏様は、困っている人を見つけると、まもり神の台東くんを遣わしてきたとか。仏様が筆で半紙に「台東」と書くと、文字が浮かび上がって「台」の字が頭をつくり、「東」の字をおなかに抱えた台東くんが生まれます。しっぽがハート形なのは、区のエリアがハートのような形だから。一年中どこかでお祭りがされているこの地域をイメージし、体を覆う基本カラーは情熱的な赤です。上野動物園のパンダにちなんだパンダバージョンで駆けつけることもあります。
2019年7月、パンダバージョンの台東くんが、台東区浅草2丁目にある浅草ひさご通り商店街に現れました。手に持ったササの葉を振りながら、商店街キャラクターの「ひさごろう」と一緒にアーケードを練り歩きました。この日は、「サマーフェスタ」を開催中で、抽選会や縁日が催され、子どもたちや海外からの観光客らが台東くんやひさごろうに駆け寄り、記念撮影などをしてふれあいました。
ひさごとは、ひょうたんのこと。ウインズ浅草のあたりに旧浅草公園の瓢箪(ひょうたん)池があったことに由来しています。一帯は1886(明治19)年創業の牛鍋店「米久(よねきゅう)」にちなんで米久通りと呼ばれていましたが、1925(大正14)年にひさご通りと名付けられ、商店街になりました。現在は飲食店など42店が加盟します。池は、51(昭和26)年に埋め立てられましたが、「米久」をはじめ、創業100年を超える和装履物やちょうちんの専門店、「江戸たいとう伝統工芸館」=写真、台東区提供=もあり、歴史と文化を伝えています。ひさご通り商店街専務理事の三浦康至さんは、ご当地キャラクターについて「伝統のある商店街の雰囲気を、訪れる人に楽しんでもらいたいですね。台東くんとひさごろうの登場で子どもや外国人観光客にも喜んでもらいたいです」と話しています。
太古、台東区は上野、谷中地区以外は海底や湿地帯でしたが、縄文時代に隅田川に流れ込んだ土砂が両岸を陸地化し、弥生時代から人が住むようになりました。上野公園内には「摺鉢山古墳」もあります。
628年、隅田川で御本尊の観音像がすくい上げられたことで浅草寺=写真=が興ったと伝わっています。のちに源頼朝や足利尊氏らの武将の信仰を集め、戦勝祈願などもされました。江戸時代、浅草寺や徳川家の菩提(ぼだい)寺のひとつ寛永寺の門前町はにぎわい、切り子や指し物、漆器などの職人の町になりました。江戸通り沿いの蔵前・浅草橋地区は江戸時代から人形問屋などが多く、昭和30年代ごろから玩具問屋を中心に発展しました。台東くんのデザインを考えたのは、1950(昭和25)年、菊屋橋に「萬代屋」として創業したバンダイです。
区の花は「あさがお」。入谷鬼子母神(真源寺)の夏の風物詩「入谷朝顔まつり」は、区を代表する祭りの一つです。区の木は「さくら」。上野や谷中、隅田川沿いは、古くから桜の名所として知られ、松尾芭蕉の俳句「花の雲鐘は上野か浅草か」では桜が一面に咲いているさまを雲に見立てています。
お花見スポットとして有名な上野恩賜公園は、1868年(慶応4)年、新政府軍と旧幕府方の彰義隊が、寛永寺の境内地の上野山で戦った上野戦争の舞台になりました。明治維新後、都市公園になり、美術館や博物館などが集まる文化と芸術の森として整備されています。
ところで、ことばをしゃべらない台東くんのフェイスブック(https://www.facebook.com/taitoukun)やツイッター(https://twitter.com/taito_kun)では、上野大仏の顔が台東くんの後ろで代わりに語っています。語尾に必ず「パゴッ!」とついているのが証拠です。1967(昭和42)年、上野公園にミャンマー様式の仏塔(パゴダ)=写真=が建設され、「大仏パゴダ」と呼ばれています。1660(万治3)年ごろに建立されたものの関東大震災で倒壊し、頭部だけが残っていた上野大仏は1972年、そばにレリーフ状に安置されました。
台東区は国内外から多くの観光客が訪れます。2018年度の観光客は約5583万人、そのうち外国人観光客は約953万人です。台東くんの活躍がますます期待されています。
(小松麻美)
東京都台東区 データ ・発足 1947年3月15日 横山大観、杉山寧、平山郁夫(いずれも日本画家)、平櫛田中、朝倉文夫(ともに彫刻家)、大谷米太郎(実業家)ほか |