「アフター・ヤン」(2021年) 「テクノ」と呼ばれる人型ロボットのヤン、中国系の養女・ミカ、養父母が暮らす近未来が舞台です。
「ここで暮らしたい!」と一目惚れしたフィンランドへ、2022年にすし職人として移住した週末北欧部のChikaさん。ロールモデルを見つけた映画があったそうです。3月3日付け朝日新聞紙面「私の描くグッとムービー」欄に収めきれなかったお話しをお届けします。(聞き手・伊東哉子)
――週末北欧部Chikaさんに、大切な映画の一本として「かもめ食堂」を挙げていただきました。どんな映画なのか、どうしてこの映画を選んだのか教えてください。
Chika 小林聡美さん演じる日本人女性のサチエさんがヘルシンキで開く「かもめ食堂」を舞台に、繰り広げられるストーリーです。この映画を初めて見たのは二十歳のときで、フィンランドを初めて訪れる前でした。誕生日が12月25日で、サンタクロースにすごく憧れがあったので、クリスマスをフィンランドで過ごしたいと思ったんです。それまでフィンランドといったら、サンタさん、ムーミン、マリメッコ……くらいしか知らなくて。旅行前の情報収集として「かもめ食堂」を見ました。そのときには、まさか自分がフィンランドに一目惚れして、ここに暮らしたいと寿司職人になって移住することになるとは、全く思っていなかったですね。
■無理せずそのままでいる、というロールモデル
Chika 「かもめ食堂」は私にとって夢のロールモデルで、夢をあきらめそうになった時にすごく励まされる映画なんです。サチエさんが映画の中でフィンランドで開業した理由を聞かれるシーンで、「ここならやっていけるかなと思った」と答えていて、私もフィンランドで「ここでなら生きていけそうな気がする!」って思ったのが映画とリンクしました。たとえフィクションでも、具体的で解像度の高い自分のロールモデルを見つけられたような気がして、それ以降、「かもめ食堂」は何度も見返しています。
――Chikaさんがサチエさんをロールモデルとしているのは、なぜなのでしょうか。
Chika 無理をしないところですかね。自分らしい、ありのままがそのまま価値になるような生き方ができたら、とても幸せだと思います。自分も楽だし、周りにとっても価値がある。そういう場所はきっとどこかにあるんです。職業選択で「マッチング」と言われますが、ある場所では自分の強みや「らしさ」が全くいきないかもしれないけど、別のある場所では、ありのままでいるだけでそれが価値になる。フィンランドに移住する前は、人材会社で働いていたので、そういうキャリア選択もたくさん見てきました。
サチエさんも、おにぎりの具材に、フィンランド定番食材のザリガニを出したりせずに、やっぱりおにぎりはシャケだっていう、自分になじんでいる、好きなままを貫くんです。ありのままの自分を受け入れてもらえる居場所を探し出して、そのままのサチエさんがフィンランドの人にも受け入れられていくプロセスが素敵でした。「まじめにやってればそのうちお客さんも来るようになりますよ。それでもダメならそのときはやめちゃいます」ぐらいの気持ちで、肩の力を抜いて頑張っているところがより一層胸に刺さりました。
もしサチエさんが超人のような人だったら、きっと、「自分はこういうふうにはなれない」って、ロールモデルにはならなかったかもしれません。そうではなくて、「なんか自分にもできそうな気がする」って思わせてくれる人だからこそ、ついつい頑張りがちな私の肩の力も抜いてくれたんです。原作によると、サチエさんがフィンランドに行った年が38歳。私自身が30代に入ってからお寿司を学び始めてキャリアチェンジをしていく中で、サチエさんぐらいの年齢までに行ければいいなと思えた気がします。
――サチエさんとは、性格や考え方でも重なる部分があるのでしょうか。
Chika 共通点が二つあるかもしれません。一つは直感で生きていくということ。もう一つが人に踏み込みすぎないという距離感ですね。
サチエさんがフィンランドで開業した理由はすごくシンプルです。本心は色々あるかもしれないけど、「ここならやっていけるかなと思った」、そんな理由でいいんだというのは結構衝撃的でした。私もフィンランドに一目惚れをして夢を見つけたのですが、会社を辞めていきなり寿司職人になることに、周りからは「リスクもあるのに、なんでそこまで?」と言われることもありました。要は、「『ここに住みたい!』って思ったんだもん」って。理論だった大義名分を考えもしましたが、そういう素直な気持ちに動かされて今ここに来ていて、それでいいのかもって思えるサチエさんの気持ちに共感しました。
二つ目の人との距離感。たとえば映画の中で、片桐はいりさん演じるミドリさんがフィンランドに来た理由を話すシーンで、「どこかに行きたいと思って目をつむって指をさした場所がヘルシンキだったんです」って、サチエさんに言うんです。多分普通だったら、「何かあったの?」とか、「なんでその方法にしたの?」と色々聞きたくなっちゃうと思うのですが、お互いに自分の抱えている背景にはあまり踏み込まずに話しが進みます。根掘り葉掘り聞いて、最初からパーソナルスペースに入り込むというより、何となく波長が合って、話したくなれば話してもいいし、そうじゃなければそのままでいいっていう距離感がすごく心地良くて、自分とも似ているなと思いました。フィンランドに来たときに感じた心地良さも実はそこにありました。パーソナルスペースをすごく大事にしたり、その人らしさをそのまま尊重したり、尊重と無関心の間の距離感っていうふうに私は捉えています。
■心地良いのはどうしてなのか
――サチエさん自体に、フィンランドっぽさがあるんですね。
Chika そうかもしれないです。助けを求めたら助けてくれるんだけど、それまでは手を差し伸べずに見てるような、踏み込み過ぎない感じがすごく似てる気がします。著書にも書いたのですが、フィンランド人の友達とサンタクロース村へ行ったときに、「自分は疲れてるから車の中で寝てるね。チカは楽しんでおいで」みたいな感じで、一緒に旅しているのに行動は別だったことがあります。最初は私もびっくりしましたが、「一緒に来ているから一緒に楽しまなきゃ申し訳ない」ってことが一切なく、それぞれが好きなことをして、自分らしくあることが許される。そういう距離感がすごく心地良いのです。
――お話を伺っていると、「心地良い」というワードが結構出てきますね。Chikaさんの今の生活や、生き方の軸になる部分なのでしょうか。
Chika 「普通でいなきゃ」「みんなと同じでいなきゃ」。そういうことをすごく考えながら育ってきた部分がありました。だからフィンランドに行ったとき、人それぞれが自分らしさや自分の好きなものを大事にしていると心地良い距離感が生まれるのだと、びっくりしたんですよね。そういう暮らし方があるということが、すごく嬉しくなりました。それに、都会の近くに森や湖があって、都会か自然かのどちらかを選ばなくてもよいという環境も、自分にはフィットしました。生き方や生きる場所として、すごくしっくりきた。それが「心地良い」というワードに集約されているのだと思います。
映画の中でも、人や自然との距離感が描かれていました。私の強烈な一目惚れの要素を映画が捉えていたということは、フィンランドを訪れるたびに分かってきました。一目惚れから移住までに13年かかったのですが、その間、忙しい日々の中でも、この映画がフィンランドで出会ったいいなと思う部分を思い返すきっかけになっていたのかなと思います。
――二十歳でフィンランドに一目惚れして、新卒で北欧系の音楽会社に就職されて…というところから現在まで、本当にいろんな経験をされていますね。
Chika 思いついてはやってみて、失敗しては違う道を模索して、本当に試行錯誤のプロセスです。実は自分では、この道のりを「かもめ食堂プロジェクト」と名付けています。だから、失敗も含めて楽しめた気がします。最初は、フィンランドが好きすぎて、日本で北欧カフェを開きたいと思っていました。週末にカフェでアルバイトをして修行をはじめたのですが、カフェで働くって本当に大変で……。どうせ苦労するなら自分の好きな場所で思いっきり苦労した方が苦労対効果が高いと思い、じゃあフィンランドでやろうってところから、どうすればフィンランドで暮らしていけるのか現実的な手段を探しているうちにお寿司にたどりつきました。それで会社員をしながら寿司職人の学校に通って、今に至ります。
■なんて幸せなシナモンロール
――これが好き、こういうふうに生きたいと思うことは誰しもありますが、実現できるまでトライ&エラーを繰り返せる人はあまりいないように感じます。Chikaさんの秘訣とは何でしょうか。
Chika 私、すごい心配性で、不安があったからこそ13年かかってしまいましたが、一番の秘訣は、好きなことをずっと好きでいられるように、夢との距離感を大事にできることだと思います。この夢がもし叶わなかったり、この夢じゃなかったりしても、自分には生きていく人生の選択肢がいくつかある。そう思うようにしています。「これを実現しなきゃ」って思った瞬間に、夢をすごく重く感じてしまったり、生きることをタスクに感じてしまったり。そうすると、ちょっと好きでいられなくなる瞬間もあると、夢の過程でとても感じました。たまには寄り道して全然違うことをしてもいい。私の場合は、転勤でいきなり中国に行ったこともありました。一旦距離を取ったりもしながら、力み過ぎずに頑張れたから、ずっと夢を好きでいられたし、楽しみながらその過程を追えたのだと思います。
――夢にもほどよい距離感が大事なんですね。
Chika 北欧音楽の会社に就職した時に、好きなことを仕事にしたらとっても幸せになれるかもと思いましたが、実はそうじゃなかったという経験があります。一時期は北欧と距離を置くタイミングもありましたが、だからこそ、好きなことを好きでいるということにも、実はコツがいることが分かって、「ほどよい距離感」「頑張りすぎない」「苦しくなりすぎない」ことは大事だなと思っています。
――映画では、シナモンロールを焼くシーンがお気に入りだと著書で書かれていますね。
Chika シナモンロールはフィンランドを象徴する食べ物です。フィンランドに行ったときに一番感動したのがシナモンロールの味でした。フィンランド語では「コルヴァプースティ」と言って、「パンチされた耳」という意味があります。生地をギュッとつぶす工程があるんです。日本でイメージするふわふわでシュガーがのったのじゃなくて、カルダモンとシナモンが入ってスパイスのきいた、ちょっと硬めな、コーヒーとよく合う食べ物として、至るところで売ってます。若い人からおじいちゃんおばあちゃんまで、はむはむと楽しんでいらっしゃる光景を見て、なんて幸せなんだろうと思いました。
映画でも、それまでずっと警戒して窓の外からのぞいていたおばさま達が、シナモンロールの香りに誘われてお店に入ってくるシーンがあります。すごく幸せな光景でした。おいしいものって、国を超えて人と人を結びつけますよね。映画を見ているうちに、私もすぐに焼いてみようと思うようになって、深夜にいきなりシナモンロールを作る習慣ができました。焼いている15分の間に香るシナモンとカルダモンの香りが現地のコーヒー店と全く同じで、日本にいながらもフィンランドを楽しむすごく良い手段だったんです。フィンランドでは、家でも作りますが、お店によっても違いがあるので、街中にあふれる個性豊かなシナモンロールを食べ歩いています。
――お休みの日はそうやって過ごされているんですね。
Chika 今はお寿司屋さんの仕事が忙しくて、ぐったりと週末を過ごすこともあります。2022年の4月に移住して、今年から2年目に入るっていうタイミング。ちょうど働き方を見直したいと思っているところです。1年目は「がっつり働くぞ!」と思っていたので、2年目からはもう少し自分らしい暮らしのリズムに整えるのが目標。やっぱりサチエさんの生き方への道のりはまだまだ長いぞって思いながら、引き続き理想に向かっていく最中なのかなって思います。
◆しゅうまつほくおうぶ ちか
1989年大阪府生まれ。北欧好きが高じて、独自の「北欧就活」を行い、新卒で北欧音楽を扱う会社に就職。その後、人材会社で3年の契約社員期間を経て、正社員に。並行して、「かもめ食堂プロジェクト」を始動させ、週末にカフェ修行を行う。1年間の中国転勤の後、会社員を続けながらお寿司の学校へ通い、2022年から寿司職人としてフィンランドへ移住。自画像はサンタ帽をかぶったカモメがモチーフ。急性すい炎の入院中にブログへ書き始めたエッセイ漫画「マイフィンランドルーティン100」が書籍化(ワニブックス)され、作家活動がスタート。著書の「北欧こじらせ日記」(世界文化社)は、テレビ東京系列でドラマ化された(Paraviで配信中)。3月23日に「世界ともだち部」(講談社)が発売。「フィンランドおしごと日記」 https://woman-type.jp/wt/feature/category/work/finland/はじめWeb連載も多数。
Twitter:@cicasca https://twitter.com/cicasca
Instagram: https://www.instagram.com/cicasca/
BLOG:週末北欧部 Scandinavian Weekend https://hokuobu.com/
友人と、「朗らかさと強さを自然体で兼ね備えた人なんているのか?」という話をしていたときのこと。頭にふと浮かんだのがChikaさんでした。私は「マイフィンランドルーティン100」を読んで以来、ChikaさんのSNSをチェックしては、新刊や連載を楽しみにしています。そこには、ご友人・会社のお仲間・ご家族との温かいエピソードや、夢に向かって一歩一歩前進する姿が、つい口角があがってしまうようなタッチで描かれているのです。友人に、「週末北欧部って知ってる…?」と聞いてみると、「Chikaさん!!まさしくの人いたね!!」との答えが。私(たち)にとってChikaさんはそういう存在です。
私は記者として働いていますが、会社員として一生を保証されている訳ではなく、これが生涯の仕事になるのか不安になることもあります。「人生の方向性がわからない! 霧の中にいるみたい!」と悩んでいる真っ只中なのですが、取材が始まり、チカさんのお話を伺っていると、霧の中にも陽のさすポイントがあるとわかったような気がしました。
Chikaさんの言う「自分らしい、ありのままがそのまま価値になるような生き方」は多くの人が望む反面、そういう人生を歩むのはそう簡単ではないように思います。Chikaさんの夢と、夢を叶えるためにたどってきた道のりを聞いて、「すごい」と「いいな」がいっぱいになりました。同時に、「私とは違う」とは思わせないで肯定して前を向かせてくれる穏やかな強さと、肩の力を抜いてくれる優しい明るさも感じました。サチエさんがChikaさんのロールモデルであるように、Chikaさんもまた私にとって、生き方や考え方のヒントを教えてくれる道しるべのような存在です。この世界にChikaさんがいると思うと、なんだか心強くなりませんか?
Chikaさんの背景や近況がわかる著書・連載も、ぜひお読みください。そして、映画「かもめ食堂」もまた、ご覧になってください。どちらもきっと、心を軽くして背中をおしてくれると思います。
(伊東哉子)