〽軽便汽車乗(ぬ)てぃ ま~かいが~(どこ行くの)――沖縄で戦後歌われた「軽便鉄道節」にのせ、紅型(びんがた)を着た琉装の女性たちが傘を車輪に見立てて踊る。1月31日、沖縄本島南部・与那原町の「軽便与那原駅舎展示資料館」の開館式。激しい地上戦で破壊された駅が、往時の姿そのままに復元され、戦後70年の節目の年に交通資料館としてよみがえった。
与那原は始発駅だった。太平洋に面した港に本島北部から木材などを運ぶ山原船(やんばるせん)が到着すると、この駅から那覇へと物資と人々が運ばれた。しかし、沿線でここだけだったモダンなコンクリート造りの駅舎は沖縄戦で破壊され、「ケービン(軽便)」と呼ばれて親しまれた鉄道は姿を消した。昨年、開通100年を機に復元された駅舎の裏に根元だけ残された9本の柱が、静かに戦禍を伝える。
「重装備の兵隊がいっぱい乗ってきて坂で列車が止まってね、隊長の命令でみんなで押していました」と資料館の開館を知って訪れた70代の男性。別の男性はこの駅で父親の出征を見送ったという。
「車掌に何度も乗せてもらった」と声を弾ませたのは駅前に住んでいたという80代の女性。駅のシンボルだったガジュマル、駅前に広がる芋畑や飛び交うホタル、列車で走り抜けたサトウキビ畑……。懐かしい光景を次々に数え上げた。
「戦前の楽しかった思い出にはケービンが登場することが多いんです」と、資料館の展示に携わった沖縄大非常勤講師の波平エリ子さん(56)はいう。沿線で暮らした人たちの思い出を大切に、展示内容を工夫したそうだ。
文 中村さやか/撮影 上田頴人
沖縄県鉄道は、当時の主要港だった与那原と那覇を結ぶ与那原線が1914年に、その後那覇を起点に北へ延びる嘉手納線が22年、南方へ延びる糸満線が23年に開通した。総延長約50キロ。サトウキビや物資の運搬などで活躍したが、沖縄戦で破壊され、45年にそのまま姿を消した。 沖縄都市モノレール・ゆいレールの壺川駅から徒歩約5分、壺川東公園にはかつての与那原線線路跡が残る。園内には工事で発掘された当時のレールのほか、沖縄県南大東島でサトウキビの運搬に使用されていた蒸気機関車の下回りとディーゼル機関車が展示されている。
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ケイビン焼(2個250円)はドラゴンフルーツを練り込んだ餅を挟んだ大判焼き。表面には汽車の絵が。小豆あんと沖縄産黄金芋あんの2種。駅徒歩7分ほどのファーマーズマーケット与那原で販売する。問い合わせは上原さん(098・945・2111)。 |