19世紀末に建てられた校舎の復元修理。頼りにしたのは図面、ではなく、往時の写真だった。
京都御苑の西側にキャンパスが広がる平安女学院。大学の隣に高校や中学校が並ぶなか、奥にたたずむのは旧校舎「明治館」だ。
れんが造りの2階建て。高い屋根は煙突が突き出し、緩やかな曲線に先端のとがった破風(はふ)で飾られている。茶色の壁には砂岩で灰色の帯がデザインされ、コントラストが鮮やかだ。
「19世紀の英国で流行したクイーン・アン様式の特徴です」。明治館の案内を担当する毛利憲一教授(51)は語る。設計したのは、英国の建築家A・N・ハンセル。1895年、キリスト教女学校として建てられた。
当時をしのばせる築129年の建物。実は2008年に復元修理されたのだという。
教室や事務室、図書室に使われてきた明治館は、建設直後から雨の被害などで修復を繰り返していた。1995年、阪神・淡路大震災。倒壊の危険が生じ、立ち入り禁止となってしまった。
取り壊しの話も出たが、学院の歴史を記念する建物を残そうと2003年、学院と同窓会で委員会を発足。翌年に国の文化財登録が決まり、耐震補強に加えて復元にかじを切った。
「よみがえらせる手がかりは、学院が記録し続けた写真でした」。毛利教授は振り返る。設計図は残っておらず、解体して構造を調べながら、各年代の写真と照合する作業を進めた。
例えば玄関ポーチ。明治時代の卒業写真では、学校名が彫られた表札石が写っていた。その後、モルタルで埋められており、復元修理で掲げ直した。1階の部屋は、もともと外に直結した雨天体操場だったことも分かった。いつの時代かに増設された壁と床を取り外し、アーチ形に並ぶ出入り口を復元した。
3年がかりの復元工事では、昔ながらの建材も活用した。古い木材を残した階段は上るとギシギシと音が響く。
「生徒や学生にとって、文化財のなかで学ぶ時間は思い出になる」と栗本康代教授(54)。明治館はいま、高校や中学校の部活動に使われている。
(田中沙織、写真も)
DATA 設計:A・N・ハンセル 《最寄り》:丸太町 |
平安女学院の隣にある菅原院天満宮神社(問い合わせは075・211・4769)は、学問の神様として知られる菅原道真をまつる。境内にある井戸は道真の産湯に使われたといわれ、枯れてしまった後も新たに掘削し復活させた。臥牛(がぎゅう)像など道真ゆかりの遺物が残る。午前6時~午後5時。