旧熊本藩主細川家の屋敷跡に立つ当館は、細川家伝来の文化財などを保存、公開しています。春季展「戦国最強の家老 細川家を支えた重臣松井家とその至宝」(12日~5月8日)では、戦国時代以来仕えた松井家に焦点を当て、ゆかりの品を細川家所蔵品とともに紹介します。
「羽柴秀吉血判起請文」は織田信長に謀反した明智光秀に山崎の戦いで勝利した秀吉が、細川藤孝・忠興親子に宛てたものです。「本能寺の変の際、(光秀にくみしないという)比類無き覚悟が頼もしかった」という趣旨の内容で、秀吉の花押と血判が残っています。
細川家は明智家と懇意で、忠興の正室は光秀の娘・玉(ガラシャ)です。しかし変の後、味方にと誘う光秀に細川家は態度を保留。光秀敗北の大きな要因といわれる判断の陰に、松井康之(1550~1612)の活躍がありました。
康之は、領国・丹後(京都府北部)を動かない主君に代わり情報を収集、秀吉が中国攻めからとって返すと確信します。光秀に勝ち目はないとみて、秀吉側に光秀と距離を置く細川家の立ち位置を伝えています。
「唐物尻膨茶入 利休尻ふくら」は、関ケ原の戦いでの軍功をたたえて2代将軍・徳川秀忠が忠興に贈ったとされる千利休の茶入れです。
忠興は利休に師事し、「七哲」に数えられる高弟でしたが、康之も利休の弟子でした。利休が蟄居を命ぜられ京を離れた際は見送りに行けなかった代わりに手紙を送りました。それに対して利休から、忠興と古田織部が見送ってくれたことへの驚きと感謝の旨を記した返書が残っています。
(聞き手・鈴木麻純)
《永青文庫》 東京都文京区目白台1の1の1(問い合わせ先03・3941・0850)。午前10時~午後4時半(入館は30分前まで)。2点は春季展で展示予定(「血判起請文」は4月18日まで複製展示)。
学芸員 伊藤千尋 いとう・ちひろ 2016年から現職。専門は日本美術史。今回の春季展のほか「新・明智光秀論」展などを担当 |