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『Fukushima50』報知映画賞・特選試写会

特選試写会に佐藤浩市、吉岡秀隆、若松節朗監督が登壇!作品への想いを語る。

(C)2020『Fukushima 50』製作委員会

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 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災発生。そして福島第一原発事故。日本人誰もが経験し、全世界が震撼した福島第一原発事故の関係者90人以上への取材をもとに綴られたジャーナリスト、門田隆将 渾身のノンフィクション作品「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫刊)原作の映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)の報知映画賞・特選試写会の舞台挨拶に佐藤浩市、吉岡秀隆、若松節朗監督が登壇した。


 佐藤浩市は主役となる福島第一原発1・2号機当直長・伊崎利夫を、吉岡秀隆は5・6号機当直長・前田拓実を演じる。

 まず撮影現場でのチームの雰囲気を聞かれ佐藤は「私たちは当時、福島の状況について知らないことが多すぎるという事を撮影するにあたって改めて勉強させていただきました。現場にいた人たちが“何故”、“何のため”に現場にいたのかという気持ちを私も吉岡も自問自答しながら撮影していきました。撮影自体は時系列通りの順撮りで進んでいき、日々みんなの顔がやつれていくのが見えてきてなんとも言えなかったですね。中操での撮影2日目から電源が落ちるシーンの撮影で、予備電力もなく暗闇の中で防護服を着てやるんです。防護服に目張りをして少しの休憩では脱ぐことが出来ないんですよ。それでも何日か撮影が進んでいくと防護服を着ていても誰が誰だか分かるんですよ。これは不思議でしたね」とコメント。

 吉岡は「浩市さんが現場にいてくれることが救いでした。暗闇の中で防護服を着て撮影をしていると誰だか分からないんですよ。それでも浩市さんはシルエットで分かりました。浩市さんが居てくれるだけで安心するので、緊迫したシーンでは浩市さんの顔をマスク越しに見ていました。そうして中操での撮影が終わり、スタジオから出て防護服やマスクを取るとみんなやつれて老けたなって感じましたね(笑)。中操での撮影はそれくらい大変で、メンバーみんなで作り上げたシーンです」と撮影時のエピソードを苦労話を交えながら中操チームのリーダー・佐藤に感謝を語る。

 それに対し若松監督は「マスクをして、電気もなくて、俳優の寄りを撮るんですけどお二人も仰っていたように誰が誰だか分からないんですよ。俳優さんにとってもちゃんと撮れているのか疑問に思うかもしれませんが、しっかり映っています。そして吉岡君が『浩市さんはシルエットで分かる』と仰っていましたけど、浩市さんは俳優界のレジェンドですからね。浩市さんがいてくれるおかげで役者さんたちの統率が取れます。暗黙の威圧感があるんでしょうね。中操での作業は放射線量もあがっていて死を目の前にした作業です。劇中浩市さんが『俺と一緒に行ってくれる奴はいないか?』という浩市さんの見せ場でもあるシーンがあるんです。これは故郷・家族を思いながら、なんとか家族のためにも頑張らなきゃいけないというものを表しているシーンでもあるんです。その撮影時に浩市さんの俳優として大きさを改めて感じました」と若松監督も佐藤に対しての印象を語った。

 次に本作の撮影にあたって難しかった点を聞かれた佐藤は「一つだけ言えることは皆さんも僕らも、当時最悪の事態を免れることが出来たという結果を知っているわけですよ。しかし9年前、あの時、あの場所にいた人たちはこの先なにがどうなっていくのか分からないんですよね。その恐怖と責任などあまりに大きなものを背負ってそこにいたんですよね。その気持ちを私たちがどう表現することができるのかと思いました。そうしたものをこれから日本で生きる人たちに映画を見て感じていただきたいなと思いました」とこれから本編を見る観客に向けてメッセージを送った。

 吉岡は「震災当時は映画の撮影をしていて、『映画の撮影をしていて良いのかなと、今も現地で戦っている人たちがいるのだろう』と撮影所から祈ったことを覚えています。現地の人とお会いした際も『映画を作ってくれてありがとう』と仰ってくれる方がいて、そうした現地の方の想いも受けて僕たちも映画だけではない、作り物だけじゃない演者としての意地が凝縮された作品になったという思いです」と本作に込めた強い想いも。

 若松監督は「門田さんの原作に沿ったシナリオ作りから始め、リアリティを求められる映画でしたので原発事故の5日間は実際の時系列とほぼ同じで、スタッフとも『嘘になることは絶対やめよう』と話していて実際に静岡の発電所に取材をしてから臨みました。原発内は撮影禁止なので基盤などもスタッフが頑張って書き写したものをセットに落とし込みました」と制作の舞台裏を語る場面も。

 劇中福島・富岡町の桜のシーンについての話になると佐藤は「撮影は1月下旬で終わって桜の開花まで時間がありました。実際はCGで出来てしまいますけど、これは本物の桜でやりたいということになったんです。その過程は映らないかもしれませんが4月上旬に富岡町の桜を撮りに行くと見事に咲いて待っていてくれましたね」と感慨深く述懐し、若松監督は「1月いっぱいで撮影が終わって、4月の撮影の際に浩市さんが海を見ていたのが思い出に残っています」と役者・スタッフ一同の想いが詰まっているシーンの撮影エピソードを披露。

 最後に若松監督は「原発事故から9年経過し、企画から5年が経って完成しました。僕らは皆さんに何を伝えられるのか、原発の中で何があったのかを伝えたいです。作業員がどんな思い、怖さ抱えながら葛藤していたかも知ってもらえると思います。福島のみなさんからも受け入れてくれた感想が多くこれを強みに日本全国、世界に発信していきたいと思います」と力強く語ると、吉岡は「世界の渡辺謙さん、歩く日本映画の浩市さんの間で小さいですけど僕がいてお二人がいたからこの作品は完成しました。映画を見終わった後に必ず何か感じられると思いますので皆さんも鑑賞後に誰かに伝えていただけるとそこから未来に繋がっていく映画になると思います」とコメントし、佐藤は「この映画の映像は辛いものが多々あります。リアルタイムで経験された方、ニュース映像でしか見ていない方、10、20年後に忘れられない為にこのような辛い映像がたくさんこの映画には入っています。負の遺産を遺産に変えることが出来るのは、未来にバトンを渡すことが出来るのは我々人間だけが出来ることです。よろしくお願いします」と感謝を込めた。

 3.6公開

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